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欺まんの構造

目次

苦難の利用

 イラク政府は、国連制裁措置を維持しようとする国際社会の決意を弱める機会をとらえること、またそうした機会を作り出すことに長けている。その目標達成のために同政権が使う最も効果的な手段のひとつが、イラク国民が困窮と苦難に陥る状況を組織的に作り出すことである。イラク政府は、豪華な宮殿や膨大な兵器計画に多大な資源をつぎ込む一方で、一般市民には食糧や医薬品が不足する状況を作り出している。そして、フセインの政策が生んだ国民の苦難の責任を、制裁措置を課した国連に転嫁している。泣き叫ぶやせ細った子どもたち、医薬品や医療品の不足を嘆く医師、そして助けを乞う親たちの姿が感情に訴える大きな力に、苦難の真の原因はかき消されてしまう。

 フセイン政権は、国際世論を感化するため、特に国連がイラク国民を死に追いやっているとの虚偽の主張を裏打ちするため、悲劇的な映像を利用している。その中には次のようなものがある。

 中でも衝撃的な手段として知られるのは、イラク政府が、死亡した乳児の遺体を集め、何カ月も保存し、大規模な合同葬儀を演出し、国連の制裁措置が幼子たちを死に至らしめているとの印象を作り出そうとしていることである。

 イラク政府は、食糧、医薬品などの必需品のための資金を、兵器計画や政権のエリート層のぜいたくのために流用している。国連制裁措置の例外として、イラクは食糧や各種医薬品など必需品の輸入を明確に認められており、国連安保理は、人道上・インフラ上のニーズに対応し、数回にわたり輸入認可対象項目を拡大してきた。イラク政府は、意図的に医療品の欠如や栄養失調という状況を作り出したか、あるいは自らの政策が引き起こした国民の苦難を、プロパガンダに利用できると考えたにすぎないかである。

 いずれにせよ、軍隊のための武器とエリート指導層のぜいたくが、国民の食糧や医薬品より優先された。フセイン政権はまた、自らの義務を果たし国民の苦難をなくすより、窮状を継続させ、それを制裁措置のせいにする方が有用であると考えた。2000年の「フォーブス」誌によると、フセインの個人資産は70億ドル推定とされ、その大半を石油と密輸から得ていた。

政権の失敗を制裁措置に転嫁

 国連安保理は、計29の決議(注6)において、制裁措置の理由は、イラクにそれ以前の国連決議を順守させるためである、と明確に述べている。しかし、フセインはこれを拒否している。国連は1990年、安保理決議661で食糧と医薬品の輸入を許可した。安保理はまた、1991年に、イラク産原油の売却収入を国連が管理する口座に蓄え、イラク国民のための食糧や医薬品などの人道物資購入に充当する原油食糧交換計画を提案したが(注7)、イラク政府はこれを拒絶した。

 1995年、安保理はイラクの抗議を押し切り、別の原油食糧交換決議を採択した(注8)。イラク政権は1年半にわたりこの計画を拒否し続けたが、国際社会の圧力を受け、1996年ようやく同計画に同意し、第1回の輸入を1997年に受け入れた。しかし、イラクは計画導入後も引き続き、国際社会がイラク国民に提供しようとする食糧や医薬品を国民の手に渡さなかった。国連はその後、さらに22の安保理決議により、イラク国民のために原油食糧交換計画を延長、改正、調整、あるいは拡大し、一貫して輸出認可品目を増やしてきた(注9)。

 イラクは、総人口2200万人のうち170万人の子どもたち(うち70万人は5歳未満)が、制裁措置のために死亡した、と主張している。イラク政府のホームページによると、原油食糧交換計画導入後の1996年から2001年までの間に、5歳に達する前に死亡した乳幼児の数が50%増加している。しかし、以下に述べるように、事実は異なる。


ケーススタディー

赤ん坊の葬儀

 「会葬者に続いて、タクシーの屋根に乗せられたたいくつかの小さな棺が、バグダッドの街を行進していった。それぞれの棺には、死んだ赤ん坊の無残な写真とその年齢が「生後3日」、「生後4日」などと、英語圏のマスコミ向けに英語で書かれていた」 「オブザーバー」紙(ロンドン)

 世界のどこでも、人々は罪のない子どもの苦難や死に心を痛める。フセイン政権は、ことあるごとに、命を落とした子どもたちのイメージを、敵の政策や行動に結び付けようとする。彼らは、多数の子どもたちの死を、国連制裁措置発動の原因となったフセイン政権の政策のせいではなく、国連制裁措置のせいにしてきた。彼らはまた、湾岸戦争時に使われた使用済み弾薬の劣化ウランを浴びたため、多くの子どもたちが命を落したり奇形児が生まれる原因となったと主張した。こうした主張を支えるため、彼らは大規模な合同葬儀を演出し、そのためにも命を落とした子どもたちを必要とするのである。しかし、イラク人亡命者、ジャーナリスト、そしてこうした葬儀に参列した人々によると、ひとつ問題があった。すなわち、効果的な演出に必要な数の遺体をそろえるため、子どもの遺体を集め保存しておく必要があった。

 2002年6月23日に放映された英国放送協会(BBC)特派員によるドキュメンタリーは、フセイン政権によるこうした葬列の演出を暴露した。イスラム教の慣習に従い、死亡した子どもを直ちに埋葬する代わりに、「命を落とした赤ん坊の葬列」を演出するために必要な数の遺体を集めるため、イラク当局は遺体を冷蔵しておく(注15)。 そうした葬儀のひとつでは、フセイン政権は、死亡した子どもの大きな写真を飾った60余の棺を、バグダッドの「殉教者広場」に陳列する一方、政府が動員したデモ隊が反米スローガンを叫び、国連制裁措置の解除を要求した。これらはすべて、その場にいた外国人記者向けに演出されたものである。

 テレビのインタビューで、フセイン大統領の元側近で、現在イラク北部に住むアリと名乗るイラク人が、タクシー運転手から聞かされた内情を次のように語った。「彼は2、3日前にナジャフ(バグダッドから南へ100マイル離れた町)に行き、合同葬儀用に子どもの遺体2体を持ち帰ったそうだ」(注16

 アリの話は続く。「腐臭がひどく、遺体がどのくらいの期間保存されていたのか彼にはわからなかったが、6、7カ月間ではないかということだった。運転手たちが各地から遺体を集めてくるのだ。彼らは、準備ができるように、いつ合同葬儀が行われるのかを知らされる。彼らは、何カ月も前に死に、合同葬儀用に保存されていた子どもたちの遺体を集めるのさ」(注17

 番組の司会者は、別の記事では次のように書いている。「別の西側情報筋は、バグダッドの病院を訪れた時、イラク政府の担当者がいない間に霊安室に案内された。その場で医師が、次の合同葬儀に備え積み上げられた多数の乳児の遺体を見せたという」(注18

1998年にバグダッドで行われた政府主催の赤ん坊の合同葬儀

1998年にバグダッドで行われた政府主催の赤ん坊の合同葬儀

劣化ウランの脅威

 連合軍は湾岸戦争の際、その高濃度性のため理想的な武器となる劣化ウラン製の徹甲弾を使用した。イラク政府は近年、連合軍が使用した劣化ウラン弾が、イラク国内でのガンや先天性異常を引き起こす原因となってきたとの虚偽の主張を広めようとしている。イラクは、先天性の異常を持った子どもたちを写した衝撃的な写真を配布し、劣化ウランがその原因であると主張してきた。この政治的な運動には、プロパガンダとして2つの有利要素がある。

 しかし、世界保健機関(WHO)、国連環境計画(UNEP)、および欧州連合(EU)の科学者らは、劣化ウランに被ばくしても健康に影響はないとしている。

 しかし、こうした真実をもってしても、イラクの偽情報活動は止まることがない。ロンドンのアラビア語新聞「アルクッズ・アルアラビ」紙の2000年11月15日の報道によると、イラクはこの問題を追求するため、タリク・アジズ副首相の直接指揮下に「汚染の影響追跡のための中央委員会」と称する組織を設置した。同紙によれば、イラクのアブドアルワハブ・ムハマド・アルジュブリ少将を長とする、軍関係者や科学者等から成る作業グループが、データの作成や国際メディアのための視察ツアーを企画した。イラクは、劣化ウランの「悪影響」に関する国際会議を主催し、「専門家」を海外に派遣して、この問題について講演をさせている。その「専門家」の中には、イラクの「侵略的爆撃がもたらす汚染に関する委員会」の委員であるイラク人科学者モナ・カマス教授も含まれている。

イラクの化学兵器による医学的影響に関する事実

 国営イラク通信のウェブサイトは、モスルの町に住む少年の無残な写真にリンクを張り、次のような解説を付けている。「われわれは人権擁護派に訴える。彼らの爆弾がイラクの子どもたちに何をしたか見よ。彼らはイラクに対する侵略に、劣化ウラン弾など国際的に禁止されている武器を使用している現実を見よ」。2000年11月、イラクの「アリフ・バ」誌は、母親が劣化ウランに被ばくしたため、「2つの頭を持ち、腕も3本」ある子どもが生まれたと報道した。

 イラク各地で先天性異常やガンの発生が急増しているとするなら、それは、フセイン政権が1983年から1988年までの間にマスタードガスや神経ガスなどの化学兵器を使用したためである可能性が最も高い。サダム・フセインは、1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争の際、イラク南部および北部に居住したイラン人に対し化学兵器を使用した。また、広く知られているように、北部の町ハラブジャでは、少数民族のクルド人に対し化学兵器を使用した。マスタードガスがガンを引き起こすことは以前から知られており、先天性異常の原因となることも強く疑われている。

 医療遺伝学が専門のリバプール大学のクリスティーン・ゴスデン教授は、1998年、ハラブジャにおける先天性奇形や生殖能力、そしてガンに関する調査を行った。ゴスデン博士は次のように話した。「私が見た状況は、想像した以上にはるかにひどいものであった・・・。当時ハラブジャに住む人々の間では、不妊症、先天性奇形、ガン(皮膚、頭部、頸部、呼吸器系、胃腸管、乳房のガンおよび小児ガン)の発生率が、攻撃の10年後でさえも、3−4倍以上だった。白血病やリンパ球腫で死ぬ子どもたちの数が年々増え続けている。ハラブジャでは他地域に比べて、ガンの発生年齢がかなり低く、また悪性の腫瘍が多い」(注19

 ゴスデン博士はまた、ハラブジャで訪問した病院についてこう語る。「分娩室のスタッフによると、胎児に重度の奇形が発生している妊娠が非常に多い。胎児死亡、周産期死亡に加えて、乳児死亡も非常に多い。ハリビヤの女性の間では、こうした死亡例の発生頻度が、隣接するスレイマニアに比べ4倍以上高い。化学兵器攻撃の何年も後に生まれた子どもたちの間で、遺伝性の重度の先天性奇形が見られることは、こうした化学兵器物質の影響が世代を超えて受け継がれていることを示している」(注20

 スレイマニア大学のフアド・ババン医学部長によると、「(ハラブジャ)における先天性異常の発生率は、広島と長崎における原爆投下後の人口に占める発生率の4−5倍である。この町の死産、流産の発生率は、さらに深刻である。成人や子どもの間でも、珍しいガンや悪性のガンも、世界で最も高い率で発生している」(注21

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