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南アジア概観

ネパール

 ネパールは、国際的な反テロ連合と不朽の自由作戦の軍事活動に対し当初から強力な支援国であり、空港使用と領空通過を許可した。

 ネパールもインドと同様、米国に対するテロ活動の拠点というより、主として地元の毛沢東主義派からのテロの標的となっていた。毛沢東主義派の反政府組織は少なくとも5つの地区を支配するほか、少なくとも17地区で大きな勢力を持ち、さらに残りの53地区ほぼすべてである程度の影響力を保っている。政府は最近まで、警察力で毛沢東主義派の活動激化に対処していたが、2001年にはネパール軍の一部部隊が動員された。

 シェール・バハドル・デウバが、交渉による紛争解決を公約し、7月に首相の座に就いた。政府と毛沢東主義派は停戦に合意し、3度の交渉を行った。デウバ首相はその中で、毛沢東主義派の経済的、社会的懸念の一部に対処する大規模な社会改革計画を明らかにした。毛沢東主義派は最終的には交渉と停戦から離脱し、11月23日、全国で同時にテロ攻撃を開始した。政府はこれを受け、国家非常事態を宣言した。毛沢東主義派は2001年半ばより、政府職員や民間企業への襲撃を含め活動を拡大した。今後の交渉の見通しは非常に暗い。

 毛沢東主義派は、反政府運動の展開に当たり武器を持たない民間人への襲撃を含め、しばしばテロ戦術を用いてきた。特に懸念されるのは、国際的な救援組織や米国関連施設へ襲撃が増えていることである。(例えば、2002年2月16日と17日にマンガルセンの街が襲撃された際には、NGOのケア・インターナショナルが入居するビルが焼き討ちされた)。この攻撃の前の12月15日には、米国大使館の現地職員が殺害された。ネパール警察と米国政府は、この殺人事件を捜査中である。これまでのところ襲撃の動機は判明しておらず、容疑者も特定されていない。

 (2002年1月29日の夕刻、カトマンズ南西のバタトゥプルのコカコーラ工場で小型爆弾が爆発した。被害はごくわずかで、負傷者も出なかった)。昨年11月、カトマンズのコカコーラ瓶詰め工場でも同様の爆破装置が爆発している。どちらの工場にも、米国人従業員はいなかった。

パキスタン

2002年2月25日、パキスタンで警察官の手で警察署からカラチの高等裁判所まで護送されるアームド・オマル・シーク容疑者。この英国生まれのイスラム過激派は、殺害されたウォールストリート・ジャーナル紙のダニエル・パール記者誘拐の首謀者として逮捕された

 9月11日以降、パキスタンは、国際的な反テロ連合に全面的な支持を約束し、支援を行った。パキスタンは、米軍に国内の基地利用を許可するなど、米国に対しこれまでにない水準の協力姿勢を取った。パキスタンはまた米国と緊密に協力し、過激派の特定と拘留、さらにアフガニスタンとの国境を封鎖した。(2002年2月、米国とパキスタンは、新設された広範囲にわたる法執行合同作業部会の活動の一環として、テロ対策での交流を制度化した)

 パキスタン政府は11月時点で、数行の銀行で30万米ドル以上のテロ関連資産を凍結している。ペルベス・ムシャラフ大統領は、その一部が過激派の温床となってきた、パキスタンのマドラス(宗教学校)を教育制度の中核のひとつに位置付ける案を政府に示した。パキスタンはまた、包括的な警察改革を開始し、出入国管理制度を改善し、テロ資金供与防止のための法案作成作業に着手した。

 ムシャラフ大統領は12月、「反パキスタン派」の過激派組織を取り締まり、2002年1月までに、ともに外国テロ組織(FTO)と認定されたラシュカル・タイバ(LT)とジャイシ・モハマド(JEM)およびタリバンやカシミールの武装組織と関係する宗教政党ジャミアット・ウレマ・イスラム(JUI)の指導者を含め、2000人以上を逮捕した。FTOと認定されたカシミールの武装組織に対するパキスタンの支援は、9月11日以降に縮小した。しかし、ムシャラフ大統領の自国の武装組織に対する「強硬」方針とあらゆる場所でのテロに反対するという公約が、完全に実施・維持されるかどうかは不明である。

ダニエル・パール記者

ダニエル・パール記者 2年間にわたりウォールストリート・ジャーナル紙の南アジア支局長を務めたダニエル・パール記者(38歳)=左写真=が、2002年1月23日、パキスタンのカラチで誘拐された。パール記者は、靴爆弾事件のリチャード・リード容疑者とアルカイダやパキスタン国内のさまざまなイスラム過激派とのつながりを取材していた。誘拐犯はパール記者をスパイと非難し、多数の要求を記した電子メールを送りつけた。

 パール記者の消息は数週間不明であった。ブッシュ、ムシャラフ両大統領は誘拐を非難し、テロリストには一切譲歩しないと述べた。

 パキスタンの警察は、パール記者と誘拐犯の居場所を特定するため懸命の捜査活動を続け、米国大使館職員も緊密に協力した。しかし、2月21日、パール記者は誘拐犯によってすでに殺害されていたことが明らかになった。

 カラチ警察は、この事件でアームド・オマル・シーク容疑者を含め数名を逮捕した。シークは、1994年に英国人3人、米国人1人を誘拐した容疑で5年間服役していた。1999年、ネパールからインドに飛行中のインド航空814便が乗っ取られ、アフガニスタンのカンダハルに強制着陸させられた。ハイジャック犯は、乗員乗客155人と交換に、インドの刑務所からシークおよび米国が2001年に外国テロ組織と認定したジャイシ・モハマドの創始者マスード・アズハルの釈放を要求し、インド政府は2人を釈放した。

 ブッシュ大統領は、「米国人を脅迫する者や野蛮な犯罪行為に荷担する者は、そうした犯罪が自らの大義を傷つけるだけであり、そうしたテロの実行犯を世界から排除するという米国の決意を強めることになることを知るべきだ」と述べた。国務省は、パール記者の殺害を「非道な」行為として、米国とパキスタンが「この犯罪の犯人全員を特定し、法の裁きにかけることを誓う」と述べた。

 「この殺人は、誘拐犯が自ら信仰していると主張するすべてをあざ笑う野蛮な行為である」、とウォールストリート・ジャーナル紙のピーター・カン発行人は述べた。また、同紙のポール・スタイガー編集長は、「犯人達はパキスタンの民族主義者だと主張しているが、この行為はパキスタンの真の愛国者すべてを侮辱するものだ」と述べた。

 ダニエル・パール記者のマリアンヌ夫人はフランス人ジャーナリストで、彼が殺害された時、2人にとって最初の子を妊娠(7カ月)していた。

 ダニエル・パール記者の殺害事件は、テロリストに妥協しないことの重要性、全世界のジャーナリストが直面している危険性、現在のテロの脅威の特性、そして警戒を維持し適切な警備措置を講じることの必要性を明らかにした。

 

スリランカ

 スリランカは、9月11日の同時多発テロ攻撃後のアフガニスタンでの米国主導の軍事行動に対する支持を表明し、テロを根絶するという米国の決意を歓迎した。スリランカ政府は、10月1日支援声明を発表し、すべての金融機関に対し、指定されたテロリストによるすべての金融取引を中央銀行に報告するよう命じた。政府はまた、特定のテロリストの資産凍結を命じ、国連安保理決議 1373号の要件を満たすための規制を公布した。スリランカ政府は、特に襲撃を受けやすい施設への治安部隊の追加配備や、国内テロリストが好んで使用する兵器であるプラスチック爆弾に関する条約に加盟することを通じ、国内の治安維持を強化した。

 タミル・イーラム解放の虎(LTTE)は2001年初頭も、2000年末から始めた一方的停戦を継続した。しかし、4月には停戦を放棄し、政府、警察、民間人や軍を標的とした高度な襲撃活動を再開した。7月24日には、コロンボ北の軍民共用空港に大規模な攻撃を行い、航空機や施設に大きな損害を与えた。11月のLTTEの攻撃では、警察官14人が死亡し、民間人4人を含む18人が負傷した。また11月にはLTTEのメンバーが、12月の議会選挙に出馬予定であった野党政治家の暗殺に関与した。スリランカでは2001年に、米国市民または米国企業を標的にした、LTTEなどの組織によるテロ事件は確認されていない。

 LTTEは12月24日、1カ月間の停戦を開始した。その直後、スリランカの新政権もこれに応じ、自らも一方的な停戦を宣言した。(2002年に入っても双方は停戦を毎月更新し、和平に向けノルウェー政府との協力を続けている。2002年2月21日、双方は正式な停戦協定に合意した。2001年12月以降、LTTEによる重大な襲撃事件は発生していない。LTTEは1月21日、1998年に誘拐した民間人7人と1993年に捕虜とした軍人3人の計10人を解放した。LTTEが現時点で何人の捕虜を拘留しているかは不明である)

 米国は、ノルウェーの和平仲介を強力に支持しており、交渉によって解決がもたらされることを希望する。双方が直接交渉に合意したことは、有望な兆候である。にもかかわらず、LTTEには冷酷な暴力の歴史(昨年中の行為を含む)があり、また政治的手段としてのテロを放棄していないため、米国はLTTEに対し外国テロ組織としての認定を続ける。