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| 2001年11月10日、ニューヨークで共同記者会見に臨むブッシュ大統領とパキスタンのムシャラフ大統領。ムシャラフ大統領は、9月のテロ攻撃を強く非難し、パキスタン国民・政府から米国民・政府に対して同情と連帯の意思を伝えた |
「パキスタンは、国際的なテロとの戦いに当たり、ひとつの原則を堅持する。われわれは、世界のいかなる場所においても、いかなる形の、いかなる理由によるテロも拒絶する」
2002年2月13日、ブッシュ大統領と会談後のパキスタンのムシャラフ大統領の発言
南アジアは2001年も、米国と友好国・同盟国に対するテロ攻撃の中心地であり続けた。外国テロ組織(FTO)が、12月13日の卑劣なインド議会襲撃事件をはじめ、殺人、誘拐、破壊工作など南アジア各地で重大な事件を引き起こした。9月11日のテロ攻撃により、アフガニスタンから広がったテロ活動に全世界的な関心が集まった。アフガニスタンは、テロとの戦いの最初の戦場となった。アフガニスタンでの連合軍の軍事目的は明確であった。それは、1)アフガニスタンのアルカイダとそのテロ基盤を破壊し、2)タリバン政権を転覆させ、3)そして、アフガニスタン国民を幅広く代表する政府の樹立を目指すことである。南アジアのすべての国家が、テロに対する連合国の取り組みを強く支持した。今後の課題は、こうした支持を具体的な活動に転換し、将来的にこの地域内または地域からのテロの脅威を大幅に低下させることである。
新たな考え方を示す明確で重大な兆候がすでに見られる。パキスタンのムシャラフ大統領は、9月11日の事件以降それまでの政策を大幅に変更し、テロとの戦いに対しこれまでになく強い支持を表明した。パキスタンは、タリバン政権との従来の密接な関係を断絶しただけでなく、アフガニスタンでの軍事行動のため、米軍がパキスタン国内の基地を利用するのを許可した。パキスタンは、逃亡者の国外脱出を阻止するためアフガニスタンとの国境を封鎖し、逃亡者の特定や拘留のため米国と密接に協力している。ムシャラフ大統領はまた、国内の過激派に対し重大な措置を講じ、「ジャイシ・モハマド」の指導者であるマウラナ・マスード・アズハル師を含め2000人以上を拘束した。
スリランカでは、スリランカ政府と反政府武装組織タミル・イーラム解放の虎(LTTE)との過去数十年間に及ぶ紛争が平和的に解決できる、かすかな兆候がある。LTTEは2001年、コロンボ北部の軍民共用空港を攻撃し壊滅的な打撃を与えた。しかし、LTTEとスリランカ政府は12月、ノルウェーの仲介によって停戦に合意した。米国は、話し合いによる紛争解決を目指すノルウェー政府による和平仲介の取り組みへの支援を続ける。事態が好転する可能性はあるが、米国は今後も、LTTEによるテロ脅威がなくなるまで、この組織を外国テロ組織としての指定を続ける。
アフガニスタン
アフガニスタン領土の大半を支配するタリバンは、国内でのテロ行為を停止するよう求める国際社会の呼びかけを数年に渡り無視し続けてきた。そして、米国が主導する対テロ連合の最初の軍事標的となった。2001年1月から9月まで、北米、欧州、アフリカ、中東、中央アジア、南アジア、そして東南アジアを含む全世界のイスラム過激派が、訓練拠点として、そして世界的なテロ活動の基地としてアフガニスタンを利用した。9月11日のテロ事件だけでなく、1998年のケニアとタンザニアの米国大使館爆破事件に関与した容疑で指名手配されているウサマ・ビンラディンをはじめとするアルカイダ指導者が、アフガニスタンを拠点としていた。アルカイダの指導者は、安全な避難先であるアフガニスタンを利用し、テロリストの募集や訓練を行い、世界的な規模でのテロ資金調達を管理し、テロ作戦の計画を立て、他国の武装組織に米国などの国の権益を攻撃するよう、反米・反民主主義を掲げた暴力的な扇動行為を行った。こうした活動の頂点が、9月の悲惨な対米テロ攻撃であった。このテロ攻撃は米国と国際的な連合軍からの反撃を招くこととなった。タリバンとアルカイダに対する戦いは大成功を収め、アフガニスタン国民は現在、米軍やその他の連合軍の兵士と肩を並べ、タリバンとアルカイダの残党を国内から排除するための軍事作戦に従事している。
ドイツのボンで開催された国連主催の和平会議において、アフガニスタンの各派代表は、悲劇的な紛争に終止符を打ち、国民融和や永続的和平・安定を確保するための枠組みに合意した。アフガニスタン暫定政権の樹立について定めたボン合意には、テロに対する戦いの一環としてアフガニスタンの再建を国際社会が支援するという約束が盛り込まれた。そして国際社会は2002年1月、アフガニスタン国民がタリバン支配による荒廃から立ち上がるのを支援するため、45億ドルの援助を約束した。
インド
インド自身も2001年を通じてテロ攻撃の標的となったが、9月11日のテロ攻撃に対する米国の軍事的対応を全面的に支持し、後方支援と出撃拠点の提供を申し出た。インド政府は国内の脅威に対処するため、治安部隊に対しテロ鎮圧のための包括的な権限を与える法令を承認した。それ以降、少なくとも25団体がインド政府の「テロ組織」リストに掲載され、「非合法化」された。内務省は、内務大臣室で粉末が入った手紙が10月末に発見されたのを受けて、他省庁に対し政府宛郵便物を集中して管理・集配する体制を整備するよう提案した。内務省はまた、カシミール渓谷のインド空軍基地が10月に自爆攻撃を受けた後、重要施設を警備するため治安部隊を追加展開した。12月のインド議会に対する攻撃の後には、インド国軍の大規模動員を含め、警戒態勢が大幅に強化された。
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| 2001年10月16日、ニューデリーでインドのジャスワント・シン外相と会談するパウエル国務長官 |
インドでは2001年も、特にカシミールを中心に、各種の反乱・暴動に関連する治安問題が引き続き発生した。10月1日にはスリナガルのジャム・カシミール州議会庁舎の玄関で武装集団が爆弾を爆発させ、31人が死亡、少なくとも60人が負傷した。カシミールのテロ組織ジャイシ・モハマドが、犯行声明を出した。12月13日には武装集団がニューデリーのインド議会を攻撃し、テロリストと警備員合わせて13人が死亡した。インドは、この攻撃に関して外国テロ組織の「ラシュカル・タイバ」(正義の軍隊)とジャイシ・モハマドを非難し、パキスタン政府が国内または同国が支配する領域内のテロ組織に直ちに対処するよう要求した。インドではまた、北東部を拠点とする複数の分離独立運動に関連する暴力事件が引き続き発生している。(2002年1月22日、武装集団がカルカッタのアメリカン・センター付近にいた警官隊に発砲し、4人が死亡し、少なくとも9人が負傷した。この事件は捜査中である。米国市民にけがはなかったが、インド警察は、アメリカン・センターが標的であったことを示唆した。この事件では米国が契約した警備員1名も負傷した)
インド政府は、米国の法執行機関との幅広い協力も含め、米国の対テロ活動に対して協力的な取り組みを継続してきた。1999年11月に設置された米印対テロ共同作業部会は、2001年6月にワシントンで、2002年1月にはニューデリーで会合を開き、双方の政府から省庁を越えた職員による協議が持たれた。作業部会は、共通のテロ対策目標に向けてより一層協力関係を強化し、2002年夏にワシントンで再度会合を開くことに合意した。(次ページへ続く)


臨時代理大使 
