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*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2005年国別人権報告書(抜粋)

米国国務省民主主義・人権・労働局発表

2006年3月8日

前書き
概要と謝辞
序文
日本

前書き

 すべての人間は、尊厳と自由を持って生きることを望み、またその権利を有する。ブッシュ大統領は「自由の前進は、われわれの時代の最も偉大な出来事である」と述べた。人権と民主主義の促進は世界的な現象であり、民主的統治によって守られる普遍的価値と民主主義に関する討論が、世界的に広がっている。

 民主的統治に対する要望が高まっていることは、説明責任のある代議政治制度、法の支配に基づく平等な権利、活気ある市民社会、政治的多元性、そして独立したメディアを持つ、繁栄する民主主義が、人権を確保する最良の手段である、との認識を反映している。

 米国をはじめとする自由主義国家には、人権を保護し、民主主義の恩恵を広めることに貢献する義務がある。われわれは、他の諸国が、長期にわたって民主主義が尊重されることを保証する民主主義制度を築く手助けをしなければならない。われわれは、脆弱(ぜいじゃく)な民主主義国が、国民に、より良い生活を提供する手助けをしなければならない。われわれは、人権に関する国際的な義務を回避する諸国に対しては、その責任を追及しなければならない。そして、われわれは常に、世界各地で恐怖の中で暮らしながらも自由を夢見る勇気ある人々と連帯しなければならない。

 人権と民主主義の原則を保護し推進することによって、われわれは、米国の最も重要な価値観を守り、恒久的平和の基盤を築く。国連世界人権宣言の約束を実行し、世界各地で活気ある民主主義国を築くことは、何世代もの年月がかかるだろうが、それは遅らすことのできない、最大の緊急性のある仕事である。

 これらの考えをもって、私はここに米国国務省の「2005年国別人権報告書」を米国連邦議会に提出する。

国務長官
コンドリーザ・ライス


概要と謝辞

国別人権報告書作成の目的

 本報告書は、1961年修正対外援助法(FAA)第116(d)項および第502B(b)項に従って、国務省が連邦議会に提出するものである。同法の規定により、国務長官は、2月25日までに、下院議長および上院外交委員会に、「国際的に認知された人権の状況に関して、(A)項の下で援助を受ける国については(A)項の範囲内で、また国連加盟国であり、本法によりそれ以外に人権報告の対象となっていないその他の外国については(B)項の範囲内で、十分かつ完全な報告」を提出しなければならない。本報告書には、これらの規則により定められたカテゴリーに属さないため、連邦議会の要件が適用されない数カ国に関する報告も含まれている。

 国際的な人権基準促進のために意見を述べるという米国の義務が正式化されたのは、1970年代初めのことである。1976年に、米国連邦議会は、国務省内に後に次官補職に昇格された人権問題調整官職を設置する法律を制定した。1994年には、議会が、女性の権利のための上級顧問職を設置した。また議会は、米国の外交・通商政策が、各国の人権および労働者の権利に関する実績を考慮したものであること、そして国別人権報告書が毎年連邦議会に提出されることを義務付ける規則を、正式に法制化した。1977年に提出された第1回報告書で取り上げられた諸国は、米国の援助を受けた82カ国のみであったが、本年度は196カ国に関する報告が提出される。

報告書作成の方法

 1993年に、米国国務長官は、各地の米国大使館による人権活動をさらに強化した。各大使館のすべての部門が、人権侵害に関する報告のための情報を提供し、その確証を得ることを求められ、また大使館の活動計画を人権と民主主義の前進に結び付ける新たな努力がなされた。1994年に、人権・人道問題局が再編成され、民主主義・人権・労働局と改称された。これは、人権、労働者の権利、そして民主主義という、相互に連動する課題に対する、より広範な視点と、より集中的な取り組みを反映したものである。2005年国別人権報告書は、国務省、外交官など米国政府の何百人もの職員による1年間の熱心な活動の成果である。

 報告書の第1草稿を作成した各地の大使館は、政府関係者、法律専門家、軍関係者、ジャーナリスト、人権監視要員、学者、労働運動家など、政治的に多分野にわたる情報源から、年間を通じて情報を収集した。この情報収集作業は、危険を伴うこともあり、米国の外交官は、困難な、時には危険な状況下で、人権侵害の報告を調査し、選挙を監視し、また政府によって権利を脅かされている反体制活動家や人権擁護活動家など、危険にさらされている個人を援助するため、常に労をいとわない活動をしている。

 各大使館が完成した報告の草稿は、ワシントンへ送られ、民主主義・人権・労働局が国務省の他の部局と協力して、これを慎重に検討した。国務省の職員は、これらの報告の確証を得、分析・編集を行うとともに、独自の情報源も活用した。それは、米国内外の人権団体、外国政府関係者、国連その他の国際的・地域的な組織や機関の代表、学界の専門家、そしてマスコミなどから得た報告である。また国務省職員は、労働者の権利、難民問題、軍事・警察、女性問題、および法律関係に詳しい専門家の助言も求めた。関連する情報はすべて、できる限り客観的、徹底的、かつ公正に評価することが、指針とされた。

 ここに収められた報告書は、政策形成、外交活動、そして援助・訓練などの資源配分のために際して利用される。また、米国政府が民間団体と協力して、国際的に認知された人権の順守を促進する際の根拠ともなる。

 国別人権報告書は、世界人権宣言に述べられている、国際的に認知された、個人の権利、市民の権利、政治的権利、および労働者の権利を対象としている。これらの権利には、拷問や、残虐な、非人間的な、あるいは屈辱的な扱いや刑罰を受けないこと、告訴されることなく長期にわたって拘禁されないこと、失跡や密かに行われる拘禁の対象となったりしないこと、そして、その他生命、自由、および身体の安全に対する甚だしい侵害を受けないこと、が含まれる。

 普遍的な人権は、人間の尊厳の尊重を、統治と法のプロセスに組み込むことを目指すものである。すべての人は、平和的手段によって自らの政府を変える不可分の権利、そして、人種、宗教、出身国、または性別に基づく差別を受けることなく、表現・結社・集会・移動・宗教の自由などの基本的な自由を享受する不可分の権利を有する。自由な労働組合に所属する権利は、自由な社会と経済の必要条件である。従って、これらの報告書では、結社権、団結権、団体交渉権、強制労働の禁止、児童就労の状況、そして児童就労の最低年齢規約や容認される労働条件など、国際的に認知された主な労働者の権利の評価も行う。

 民主主義・人権・労働局の国別人権報告書チーム編集スタッフは、次のとおり。

編集長 - Nadia Tongour

副編集長 - LeRoy G. Potts

上級顧問 - Gretchen Birkle

上級編集者 - Cortney Dell、Daniel Dolan、Stephen Eisenbraun、Leonel Miranda、Sandra J. Murphy、Julie Turner、Jennifer M. Pekkinen

編集者 - Joseph S. Barghout、Jonathan Bemis、Sarah Buckley、Ryan J. Casteel、Sharon C. Cooke、Stuart Crampton、Frank B. Crump、Mollie Davis、Douglas B. Dearborn、Sajit Gandhi、Joan Garner、Solange Garvey、Jerome L. Hoganson、Victor Huser、Stan Ifshin、David T. Jones、Anne Knight、Gregory Maggio、Gary V. Price、Elizabeth Ramborger、Peter Sawchyn、James Todd、Meghan Brown、David Dixon、Emily Farell、Zachary Spencer、Christine Waring

編集アシスタント - Sally I. Buikema、Nicole Bibbins Sedaca、Carol Finerty

技術サポート -Linda C. Hayes、Tanika N. Willis


序文

 以下の報告書は、196の諸国が人権問題に関して国際的な確約をどのように果たしたかという実績を述べたものである。これらの基本的な権利は、国連世界人権宣言に表されているものであり、あらゆる文化、人種、背景、信条の人々によって支持されており、ブッシュ大統領の言う「妥協の余地のない、人間の尊厳の要求」である。

 国務省は、連邦議会の規定に従い、1977年に第1回の年次国別人権報告書を発表した。以来、この報告書は、米国が世界各地で人権尊重を促進する活動の不可欠な要素となっている。国別報告書は、30年近くにわたって、人権侵害を阻止すること、また国家がすべての人々の基本的権利を守る能力を強化することを目指す政府、組織、および個人の協力活動の基盤となり、参考文書となってきた。

 世界各地で人権を擁護する活動は、外国の国民に異質な価値観を押し付けたり、外国の内政に干渉したりしようとする試みではない。世界人権宣言は、「社会の各個人および各機関が(中略)これらの権利と自由との尊重を促進すること、ならびにそれらの普遍的かつ効果的な承認と順守とを国内的および国際的な漸進的措置によって確保すること(後略)」を要請している。

 ブッシュ大統領は、米国が他の民主主義諸国および世界各地の善意の人々と協力し、「われわれの世界における圧制の終焉(しゅうえん)」という、歴史に残る長期的な目標に向けて努力することを確約している。

 もちろん、人権侵害や誤審は、民主主義国でも発生し得るものであり、実際に発生している。欠陥のない政府制度というものはない。世界各地の民主主義諸国における人権状況は、国によって大きく異なり、それはこの国別報告書に表れている。特に、民主主義制度の根が浅く、力量の不足した国では、人権擁護の義務を含む、国民に対する厳粛な義務を果たすには程遠い状況となり得る。民主主義への移行は、混乱と苦痛を伴う場合がある。腐敗の横行が、民主主義の発展を妨げ、司法手続きをゆがめ、国民の信頼を破壊する可能性がある。それでも、総合的に見れば、民主主義制度を持つ国は、非民主主義国家に比べて、はるかに大きな人権侵害を抑える防御策を提供している。

 米国自身が、すべての人々の自由と正義を目指して進んできた道のりは、長く困難なものであり、今もなお終わりには程遠い。しかし、その間、米国は、独立した政府の各部門、自由なマスコミ、世界への開放性、そして最も重要な要素として、米国の熱望的な愛国者の、市民としての勇気によって、米国の建国の理想と、人権に関する国際的な義務を守っている。

 以下の国別報告書は、人権問題に関する前進と、今も残る課題とを評価するための基盤となる事実を提供するものである。この報告書は、2005年における各国の実績を見直すものであり、ある国の実績を他の国の実績と比較するものではない。各国の報告書は、それぞれの状況を明確に説明しているが、同時に横断的な見方をすることもできる。以下に、6つの広範な観察を述べ、その根拠となる特定の国の例を挙げる。各例は、具体的であるが、網羅的なものではない。

 第1に、説明責任を負わない支配者に権力が集中している国は、世界で最も組織的に人権侵害を犯している国である傾向がある。こうした国には、国民の基本的権利を大幅にはく奪している、閉ざされた全体主義政治から、基本的権利の行使が厳しく制限されている独裁政治まで、さまざまな形態がある。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、2005年も引き続き、世界で最も孤立した国家のひとつであった。依然として、組織的に抑圧的な政権が、国民の生活のほぼあらゆる側面を支配し、言論、宗教、報道、集会、結社、および移動の自由、そして労働者の権利を奪った。2005年12月に、北朝鮮政府は、国内の国際非政府機関(NGO)の数を大幅に削減することを要求し、さらに孤立を深めた。

 ビルマでは、暫定軍事政権が絶対的命令によって支配し、民主主義改革と人権尊重の約束の裏で、残虐行為と抑圧が続いた。強制労働、人身売買、子ども兵の徴集、そして宗教的差別が、引き続き深刻な課題となった。軍隊による虐待も続き、少数民族に対する組織的な強姦、拷問、処刑、強制移住などが行われた。この政権は、政治活動家の監視、嫌がらせ、投獄といった手段による強権支配を続けている。これには、ノーベル賞を受賞した反体制指導者のアウン・サン・スー・チーも含まれており、立件されないまま自宅軟禁されている。

 イラン政府の人権と民主主義に関する実績は芳しくないが、2005年にはさらに悪化した。6月の大統領選挙では、1000人強の登録候補者(女性候補全員を含む)が、イランの監視委員会によって恣意的に立候補を取り消された。当選した強硬派の新大統領は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定し、イスラエルの抹消を主張した。有力聖職者らと大統領の監視の下で、数百人もの政治囚の監禁状態が悪化し、報道の自由がさらに制限され、社会的・政治的自由の後退が続いた。即決の処刑、宗教の自由の大幅な侵害、民族や宗教に基づく差別、失跡事件、過激派による自警行為、そして拷問をはじめ人の尊厳を傷つける扱いなど、深刻な人権侵害が引き続き行われた。

 ジンバブエ政府は、人間の尊厳と基本的な自由に対する一貫した攻撃を続け、市民団体と人権NGOに対する支配力を強め、3月の議会選挙を操作した。反対派は、拷問や強姦などの虐待を受けた。新たな憲法修正により、政府が出国を制限できるようになったほか、土地取得制度で再配分された土地の所有権がすべて政府に移譲され、また裁判で土地取得に異議を申し立てる権利が取り消された。違法とされる住居や企業ビルを取り壊すために政府が開始した「秩序回復作戦」によって、70万人以上の人々が、強制退去させられたり、生計の手段を失ったりしたため、すでに弱体化し落ち込んでいたジンバブエ経済にさらに負担がかかった。

 キューバ政権は引き続き、共産党と各種国営組織を通じて、国民生活のあらゆる側面を支配した。同政権は、国民投票を提案した「バレラ・プロジェクト」などの民主改革運動を抑圧した。当局は、バレラ・プロジェクトの活動家を逮捕し、拘留し、脅迫し、彼らに罰金を科した。政府は、少なくとも333人を政治犯として監禁あるいは拘留した。

 中国の人権実績は、依然として不良であり、中国政府は深刻な人権侵害行為を続けた。中国政府の政策や見解に公に反対する者、あるいは政府に対する抗議を行う者は、政府や警備当局による嫌がらせ、拘留、および監禁の対象となった。社会秩序の混乱や、苦情への対策を求める抗議が大幅に増え、それらの行為が暴力によって抑圧された例もいくつかあった。司法制度の権限を強化し、警察や治安部隊の恣意的な権限を抑制しようとする主な措置は行き詰まった。メディアとインターネットに対する制限が続いた。少数民族、中でもウイグル人とチベット人に対する抑圧が、衰えることなく継続した。新たな宗教規制が採用され、登録された宗教団体による一部の活動に対する法的保護が拡大されたが、無登録の宗教団体は引き続き抑圧され、法輪功の精神運動に対する抑圧も続いた。

 ベラルーシでは、ルカシェンコ大統領とその独裁政権が、引き続きすべての権限を不法に独占した。政治的反対勢力、独立系労働組合の指導者、学生、新聞編集者など、民主化運動の活動家が、ルカシェンコとその政権を批判したために、拘留され、罰金を科せられ、投獄された。ルカシェンコ政権が、税務調査や新たな登録要件を利用して、NGO、独立系メディア、政党、および少数民族団体や宗教団体による合法的な活動を困難にしたり、禁止したりする例が増えた。

 第2に、人権と民主主義は密接に関連しており、いずれも長期的な安定と安全保障に不可欠な要素である。国民の権利を尊重する自由な民主主義国家は、恒久平和の基盤の構築に貢献する。これに対して、自国民の人権を厳しく、組織的に侵害する国家は、近隣諸国および国際社会にとって脅威となる可能性が高い。

 ビルマがその好例である。民主主義への道から逸脱させられたビルマは、その道に戻ることによってのみ、国民の基本的権利を実現することができる。ビルマの暫定軍事政権は、1990年に行われた、歴史的な、自由で公正な議会選挙の結果を承認することを拒否している。同政権による、非情かつ破壊的な悪政は、ビルマ国民に多大な苦痛を与え、また近隣諸国に対しては、難民の流入、伝染病のまん延、そして麻薬密売や人身売買など、さまざまな害悪をもたらしたり悪化させたりしている。12月16日に、国連安全保障理事会は、ビルマの状況に関する、画期的な討論を行った。

 もうひとつの例として、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が挙げられる。朝鮮半島が分割されたとき、北朝鮮と大韓民国(韓国)は、経済的にほぼ同等のレベルにあり、いずれも独裁主義の統治下に置かれていた。しかし、政治的・経済的自由が、2つの国の差を決定した。今日、北朝鮮の国民は、最も基本的な自由を奪われ、独裁政権の統治の結果、何万人もの難民が発生している。北朝鮮政府は、麻薬不法取引、通貨の偽造やタバコなどの製品の偽造、および密輸などの不法行為によって通貨を得ている。国際社会は、北朝鮮の核兵器計画の放棄を繰り返し要請してきたが、北朝鮮政府はこれを無視している。

 イラン政府は引き続き、責任と説明責任のある政府を求める国民の要望を無視し、核兵器能力の追求、テロ組織への支援提供、そして(新大統領が何度か公の演説で述べたように)特定の国連加盟国家の破壊を提唱する、危険な政策を継続している。イランは、自国民の基本的権利をはく奪し、イラクに干渉し、ヒズボラやハマスなどのテロ組織を支援し、またこれらの課題への建設的な関与を拒否することによって、一層国際社会から孤立している。

 同様に、シリア政府も、国民の基本的な自由を尊重し、近隣諸国への内政干渉を停止することを求める国際社会の要請を拒否した。シリアは、ヒズボラ、ハマス、およびその他の対イスラエル強硬派のパレスチナグループへの支援を続け、またベイルートで起きたアルハリリ元レバノン首相暗殺事件に関して、国連独立調査委員会に全面的な協力をしなかった。同委員会の調査主任の報告では、シリア当局が事件に関与したことを示す証拠があるとされており、シリア政府関係者が、協力する意志を表明する一方で、故意に調査官を欺いたことが明らかにされている。

 対照的に、バルカン半島諸国では、過去数年間に人権、民主主義、および法の支配において総合的に顕著な改善が見られ、その結果、地域の安定と安全保障が増大した。ますます民主的な政府が定着し、より多くの戦犯が法の裁きを受け、大勢の難民が帰国し、選挙が国際基準に従って実施されるようになっており、また近隣諸国の間では、紛争後の問題や地域問題の解決に向けての協力が深まっている。旧ユーゴスラビア諸国の多くは、戦犯容疑者の裁判を国内の裁判所で行うことに前進を見せているが、これは国の融和と地域の安定のために重要なことである。しかしながら、2005年末時点で、最重要指名手配の戦犯容疑者であるラドバン・カラジッチとラトコ・ムラジッチの2人が、依然として逃亡中である。

 第3に、最も深刻な人権侵害の中には、国内あるいは国境の武力紛争を背景に、政府が行っているものがある。2003年に、スーダン政府が、ダルフール地域におけるアフリカ人反逆者による小規模な反乱を鎮圧するために、ジンジャウィード民兵組織に武器を与えて同地域を破壊させたことから、激しい抗争が起きた。2004年9月、米国国務省は、ダルフールで集団虐殺が行われたとの結論に達した。この状況は、2005年に入っても続いた。2005年末までには、少なくとも7万人の市民が死亡し、戦闘により200万人近い市民が難民となり、20万人以上が隣国のチャドに避難民として流入した。ダルフールでは、拷問や女性に対する暴力が広く組織的に行われ、強姦が戦争の武器として使われた。女性たちが砂漠の中へ行進させられていったとの報告がいくつかあり、彼女たちのその後の運命は不明である。スーダン政府とスーダン人民解放運動が署名した包括的和平協定により、7月に憲法を採択し、2009年の選挙までの間、統一政府を形成するための道が開けた。アフリカ連合が7000人の兵士をダルフールに派遣したため、ある程度暴力が抑えられたが、完全には停止されなかった。2005年末時点で、政府の支援を受けたジンジャウィードによる市民襲撃が続いている。

 ネパールでは、不良な人権実績がさらに悪化した。ネパール政府は、2月から4月まで非常事態を宣言し、その間、人身保護を除くすべての基本的権利を停止したが、その期間中およびその後も、数々の深刻な人権侵害行為を続けた。多くの場合、政府は、最高裁が発行した人身保護令を無視し、政府が学生や政党指導者を再逮捕する例もよく見られた。毛沢東主義の反政府集団も、拷問、殺人、爆破、子どもの強制徴兵、誘拐、恐喝、そして学校や企業の強制閉鎖などの活動を続けた。

 コートジボワールでは、政治危機が引き続き国を分裂させ、2005年には、政府と反乱軍治安部隊による強姦、拷問、法的に認められない処刑などの人権侵害がさらに増加した。反乱軍による子ども兵徴集の報告件数は減少し、多くの子ども兵が解放された。政治的反対勢力に対する暴力や暴力の脅威は継続した。国際社会やアフリカ連合が努力を続けたにもかかわらず、連立政権の確立に向けた政治プロセスは行き詰まったままである。9月末までに、10月30日に実施予定の選挙の準備はほとんど行われておらず、「新勢力」反乱軍の武装解除も始まっていなかった。10月6日に、アフリカ連合は、ローラン・バグボ大統領の任期を最長1年間延期することを決定した。

 チェチェンおよびその他のロシア北コーカサス地域では、連邦軍と親ロシア派チェチェン軍が、拷問、即決処刑、失跡、および恣意的な拘留などの人権侵害行為を行った。親ロシア派の準軍組織は、時にはロシアの命令系統から独立して行動することもあったようであり、連邦当局が、彼らを抑制したり、度を超える虐待の責任を取らせたりするために有効な努力をした形跡は見られなかった。また、反政府勢力も引き続き、北コーカサスで、テロ爆破事件や深刻な人権侵害を行った。2005年には、地域全体で暴力や虐待が拡大を続け、全般的に無法と腐敗の風潮が見られた。

 コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジ、およびウガンダを含む中央アフリカの大湖地域は、10年以上にわたって、内乱、大規模な民族間の暴力行為、および紛争に伴う多大な人権侵害に悩まされている。しかしながら、2005年には、総じて暴力が減少し、人権状況が著しく改善され、何万人もの難民が、母国(特にブルンジ)へ帰還した。ブルンジでは、4年間に及ぶ移行期間が終了し、コンゴでは、歴史的な選挙の前進があった。大湖地域諸国の政府は、軍隊および各種反乱軍に所属する数千人もの子ども兵の解放に大きな前進を見せた。一方、国連の支援を受けたコンゴ軍がコンゴ国内の武装集団を解散させる活動を行っているにもかかわらず、コンゴ東部を本拠とする各種武装集団が、引き続き地域を不安定な状態に陥れ、戦略資源や天然資源のために相互に競合している。1994年のルワンダ大量虐殺を主導したルワンダの反乱軍をはじめ、ルワンダ、ウガンダ、およびブルンジの数千人もの反乱分子が、それぞれの政府に反対し、コンゴにおける市民襲撃、そして特に女性や子どもに対する数々の深刻な人権侵害を続けた。ルワンダとウガンダの各政府は、引き続き、コンゴ東部で活動し人権侵害を行っている武装集団に非合法的に武器を提供している、と報告されている。

 コロンビアでは、41年間に及ぶ内部武力紛争に関連する人権侵害が継続した。しかしながら、政府が非合法武力グループに対する集中的な武力攻勢を実施したこと、および準軍組織の動員解除が続いていることによって、殺人や誘拐が減少した。またコロンビアは、新たに当事者対立主義形式の刑事訴訟法を導入する4年計画を開始した。しかしながら、特に、過去に人権侵害を犯した政府関係者や、準軍組織と協力した一部の軍隊関係者に関しては、刑事免責が引き続き主な障害となった。

 第4に、市民団体と独立系メディアが攻撃されているところでは、表現、結社、および集会の基本的な自由が損なわれる。活気のある市民団体と独立したメディアは、一般市民の権利に対する市民の意識を向上させ、人権侵害を暴露し、改革を要求し、政府の責任を問うことによって、人権が発展することのできる状況を作ることに貢献する。

 政府は、メディアや市民団体の意見や行動に同意しない場合でも、彼らの基本的な自由の平和的な行使を保護すべきであり、侵害すべきではない。そうした自由の行使に対して、法律による制約を課すことは、それが国家の人権義務と一致しており、そうした権利を制限するための単なる口実ではない場合にのみ正当化することができる。

 法律を政治的な武器として、あるいは市民団体やメディアに対する抑圧の手段として振りかざす国家は、法の支配を支持しているのではなく、法による支配を実行している。法の支配は、国家権力に対する抑制の役割を果たす。すなわち、それは、国家権力から個人の人権を保護するための制度である。これに対して、法による支配は、権力の乱用、すなわち、被支配者に対する支配者の権力を維持するための、法と司法制度の操作となり得る。

 2005年には、世界各地で、多くの国がメディアやNGOに不利な法律を成立させたり選択的に適用した。その例を以下に挙げる。

 カンボジア政府は、年間を通じて、政府の批判者や野党議員を威嚇し、逮捕し、起訴するために、現行の刑事名誉棄損法を利用した。

 中国は、メディアとインターネットに対する制約を強化し、これが、知られている範囲で2件の逮捕につながった。

 ジンバブエ政府は、ムガベ大統領を批判した人々の逮捕、ジャーナリストに対する嫌がらせや恣意的な拘留、独立した新聞社の閉鎖、デモ隊の強制解散、そして反政府指導者とその支持者の逮捕・拘留を行った。

 ベネズエラでは、文書あるいは口頭による名誉棄損や放送メディアの内容を管理する新しい法律が制定されたことに加え、法的な嫌がらせや身体的な威嚇が行われたことによって、メディアの自由が制限され、自主検閲の風潮が高まった。政府の代表や支持者が、政治的反対勢力、いくつかの人権NGO、およびその他の市民団体を脅迫・威嚇したことが、引き続き報告された。一部のNGOは、政府が司法制度を使って政治的反対勢力に制限を加えたと訴えた。

 ベラルーシでは、ルカシェンコ政権が、反対派に対する抑圧を強化し、市民社会に新たな制約を課した。政治的な動機に基づく逮捕、独立した新聞社数社の閉鎖、他の新聞社の活動妨害、およびNGOに対する嫌がらせが行われた。

 ロシアでは、NGO事務所の強制捜査、登録に際しての問題、NGO指導者・スタッフに対する脅迫、そして外国人NGO職員のビザの問題に加えて、議会が新たにNGOに対する制約的な法律を採択したことが、悪影響を及ぼした。またロシア政府は、メディアにおける批判的な意見を制限した。政府は、特にロシア国民の大半にとって主なニュース源であるテレビをはじめとする放送メディアの多様性を狭めた。2005年末までには、独立した全国テレビ放送局は、すべてが国有または親政府組織の所有となっていた。

 第5に、民主的な選挙は、それ自体が人権尊重を保証するものではないが、国家を改革への道に導き、人権保護を制度化する基盤を築くことができる。しかしながら、民主的選挙は、民主化への長い道程における里程標である。民主的選挙は、法の支配に従い、市民のニーズに対応する説明責任のある政府と政府機関を確立する上で不可欠である。

 イラクでは、2005年は、民主主義、民主的権利、および自由が大きく前進した年となった。人権を促進するNGOおよびその他の市民団体が着実に成長した。1月30日に行われた議会選挙は、近年最悪の人権侵害が歴史に汚点を残していたこの国で、人権と自由を保護する政府制度の確立に向けた、極めて大きな前進となった。10月15日の国民投票と12月15日の選挙で、イラクの有権者は、恒久憲法を採択し、新しい立法府の国民議会の議員を選出して、民主的な未来の枠組みを提供することのできる民主主義的機構を統合した。これらの歴史的な選挙や新たな民主主義政府機構は、真の前進のための構造を提供するものであるが、イラクの市民生活と社会構造は、依然として、主に反乱分子やテロリストによる広範な暴力によって厳しい緊張を強いられている。加えて、派閥の民兵や治安部隊の分子が、政府当局とは別途に行動する例も多かった。それでも、イラク政府は、政治的権利の尊重に基づく法と選挙の路線を定め、それに従った。

 アフガニスタンの国民は、長年にわたって基本的な人権を奪われていたが、2005年も引き続き、自由と人権尊重に基づく未来を築く勇気と決意を示した。9月18日には、ほぼ30年ぶりに議会選挙が行われた。女性候補も582人が立候補し、女性有権者が熱心に投票した。2004年の憲法の下で女性議員のために確保された下院の議席に、68人の女性が選出された。この68人のうち17人は、女性議員のための議席確保がなかったとしても当選できる票数を得た。上院では、大統領が任命する34議席のうち17議席が女性議員のために確保された。地方議会によりさらに5人の女性が選出され、女性議員総数は22人となった。9月18日の議会選挙の背景としては、一部地域で不安定と暴力による抵抗が続いており、政府は引き続き、地方の中心地に対する権限の拡大に苦闘していた。

 ウクライナでは、「オレンジ革命」によって、人民の意志を反映した新政府が選出され、その後、人権実績が著しく改善された。2005年には、警察官の説明責任が増大し、マスコミの独立性が高まった。集会の自由に対する干渉がほぼなくなり、結社の自由に対する制限の大半が解除された。また、国内外のさまざまな人権団体が、おおむね政府による嫌がらせを受けずに活動することができた。

 イスラム教徒が多数を占める国の中で最も人口の多いインドネシアは、民主主義制度の構造の強化に大きな前進を見せた。歴史的な一連の地方選挙によって、インドネシア国民は初めて、市・県・州の各レベルで指導者を直接選出することができた。人権状況には改善が見られたが、かなりの問題が残っており、深刻な人権侵害が継続している。極めて重要な展開として、8月15日に、自由アチェ運動との和平合意が成立し、何十年間にも及んだ武力紛争が終結した。またインドネシア政府は、パプア人民議会を発足させるなど、2001年パプア特別自治法の実行に向けていくつかの措置を取った。

 レバノンは、29年間に及ぶシリアによる軍事占領の終結と、民選議会の下での主権回復に向けて大きく前進した。しかしながら、シリアの影響力が引き続き問題となっている。

 リベリアは、暴力に満ちた過去から、自由で民主的な未来へ向けて、大きな一歩を踏み出すことによって、国際的な民主主義の舞台に登場した。11月23日に、エレン・ジョンソン・サーリーフが、複数政党制の大統領選挙に当選したことは、アフリカ初の女性元首の実現とともに、リベリアの内戦から民主主義への移行における画期的な出来事となった。暫定政権は、概して国民の人権を尊重し、人権を強化する法案を可決した。しかしながら、警察による虐待、公務員の腐敗、およびその他の問題が継続し、14年間に及ぶ内戦がもたらした、インフラの荒廃や広範囲の貧困・失業などによって、これらの問題がさらに悪化した。

 第6に、民主改革と人権保護の前進は、直線的なものではなく、保証されたものでもない。民主政治の制度がまだ弱く、苦闘を続けている国家もある。民主的なプロセスにまだ十分に取り組んでいない国もある。不正が、前進に汚点を残すこともある。深刻な挫折もあり得る。民主的に選出された政府が、必ずしも政権に就いてから民主的な統治を行うとは限らない。

 2005年には、民主改革を確約した多くの国で、明暗入り混じった結果が見られ、中には後退した国もあった。

 キルギス共和国では、3月から7月にかけて、指導層の交代の結果、人権実績がかなり向上したが、まだ問題は残っている。欠陥選挙に抗議する反対派デモ隊が、首都の主要政府ビルを占拠した後、アカエフ大統領は国外へ逃亡した。7月の大統領選挙と11月の議会選挙は、いくつかの面で、それまでの選挙に比べて改善が見られた。しかしながら、憲法改正は行き詰まり、腐敗が引き続き深刻な問題となっている。

 エクアドルでは、民選のルシオ・グティエレス大統領に対する大規模な抗議活動が行われ、軍および国家警察指導層が公に支持を撤回した後、4月に議会が同大統領を解任した。アルフレド・パラシオ副大統領が新大統領となり、2006年に選挙が行われることになった。

 コンゴ民主共和国の暫定政権は、全国総選挙を2006年まで延期したが、40年ぶりに民主的な国民投票を実施した。多少の不正はあったが、おおむね自由で公正な国民投票の結果、新憲法が圧倒的多数で承認された。

 ウガンダの議会は6月に、大統領の任期制限を廃止するという、物議をかもした改正法案を承認し、ムセベニ大統領の3選への道を開いた。しかしながら、ウガンダ国民は、国民投票で、多党制政治の採用を支持し、議会は、選挙および政府に野党を参加させるために選挙法を修正した。

 エジプト政府は、憲法修正によって、9月に行われた同国初の多党制大統領選挙を可能にした。10政党が候補を立て、選挙運動期間中は、活発な公開討論が行われ、政治意識と政治参加が拡大した。しかしながら、投票率は低く、不正投票が広く行われたという、信ぴょう性の高い報告があった。大統領選で次点となったアイマン・ヌール候補は、1月に議員免責特権をはく奪され、基本的な国際基準を満たさない、6カ月間に及ぶ裁判の結果、12月に偽造の罪で5年の刑を言い渡された。11月と12月に行われた議会選挙では、非合法化されているイスラム同胞団とつながりのある候補が大きく得票を伸ばした。治安部隊による過度な武力行使、低い投票率、そして投票の不正操作が、これらの選挙に汚点を残した。政府は、大統領選挙においても議会選挙においても、国際監視員の立会いを拒否した。エジプト議会が設置した国家人権委員会は、第1回年次報告書を発表し、政府による人権侵害行為を率直に記述した。

 5月に行われたエチオピアの議会選挙では、国際監視員が、数々の不正行為や投票者に対する威嚇を発見した。選挙に抗議した多くのデモ参加者が、治安部隊によって殺害された。当局は、野党議員、NGO職員、少数民族、および報道関係者を拘留し、殴打し、殺害した。

 アゼルバイジャンで11月に行われた議会選挙は、改善された面もあったが、数々の国際基準を満たしていなかった。地元職員による選挙運動への干渉や国家資金の乱用、集会の自由の制限、集会を妨害するための警察による実力行使の行き過ぎ、また開票・集計における大規模な不正行為が行われたという、信ぴょう性の高い報告が多数あった。これまでのところ、選挙後の異議申し立ての過程で取られた措置は、選挙過程における欠陥に十分に対処していない。

 カザフスタンでは、12月の大統領選挙前の期間に改善が見られたものの、全体的には、自由で公正な選挙のための国際的な基準を満たさなかった。欧州安保協力機構の民主制度・人権事務所によると、政治演説に対する厳しい制限により大統領に対する特定の批判が禁止され、野党候補や独立候補にはメディアへの平等なアクセスが与えられず、野党の選挙運動イベントが暴力で妨害された。2005年に制定された、過激主義対策法、国家安全保障修正条項、および選挙法修正条項などの法律は、人権に対する法的保護を浸食し、市民団体とメディアを規制し管理する行政府の権限を拡大した。しかし、憲法裁判所は、制約的なNGO法を違憲と判断した。

 ウズベキスタンの人権実績は、すでに不良であったが、2005年にはさらに大きく悪化した。5月に、アンディジャンの町で発生した暴動に対して、当局は過大な武力を行使し、政府は多くの抑圧的な措置を取り、この傾向は2005年を通じて継続した。2月から5月にかけてイスラム過激主義の疑いで裁判にかけられていたビジネスマンらを支持する平和的な抗議が毎日行われていたが、暴動はその後に発生した。5月12日から13日にかけての夜間に、正体不明の人々が、警察署で武器を奪い、被告らが拘置されていた市の刑務所を襲撃して、看守数人を殺害し、被告らを含む囚人数百人を解放した。その後、彼らは地元の行政施設を占拠し、人質を取った。目撃者によると、5月13日に、政府軍が、非武装の一般市民を含む群集に向けて無差別に発砲し、何百人もの死者が出た。その後、政府は、数十人もの人権活動家、ジャーナリスト、およびこの事件について意見を述べた人々に嫌がらせをし、彼らを殴打、監禁し、国際基準を満たさない裁判で多くの人々を投獄した。政府は、数々の国内・国際的NGOを強制的に閉鎖し、活動を続けたNGOに対しても厳しい制約を課した。

 ロシアでは、政府に権限を集中させ、トップダウンの民主主義を実行する努力が続けられた。そのために、ロシア政府は、知事の直接選挙を廃止し、代わりに大統領による任命と議会の承認による制度を採用した。抑制と均衡の制度が、存在するとしても弱体である現在のロシアにおいては、この知事任命制度は、有権者に対する政府の説明責任を制限する一方で、行政府への権力集中を強化するものである。選挙法および政党法の修正は、長期的に全国政党を強化するためのものであるとされているが、実際には、野党が選挙で戦う能力を弱める可能性がある。こうした傾向は、メディアに対する制約の継続、迎合的な議会、選択的な法執行と法執行面での汚職、司法に対する政治的圧力、そして一部のNGOに対する嫌がらせと相まって、人民に対する政府指導者の説明責任を浸食した。

 パキスタンでは、ムシャラフ大統領が、民主主義への移行と「啓蒙的穏健主義」を確約したにもかかわらず、同国の人権実績は引き続き不良である。移動、表現、結社、および信教の自由に対する制限が続いている。民主化の前進は限定された。2005年の地方選挙では、国内外の監視員が、政党による干渉など深刻な欠陥を発見し、一部の地方では、これらの欠陥が、投票結果に影響を及ぼした。4月には、ベナジル・ブット前首相の夫アシフ・アリ・ザルダリが集会に参加する前に、パキスタン人民党の活動家およそ1万人が警察に拘留された。治安部隊は、法的に認められない処刑、正当な法の手続きの違反、恣意的な逮捕、そして拷問を行った。政府や警察組織全体にわたって腐敗が横行し、政府はそれに対する措置をほとんど取ろうとしなかった。人権侵害行為を行った治安部隊関係者は総じて、事実上、法的責任を免れた。

 厳しい現実と大きな障害にもかかわらず、世界各地で、個人的・政治的自由、および民主主義の原則の普及に対する要求が高まっている。例えば、拡大中東・北アフリカ(BMENA)地域では、近年、多党制度の誕生、前例のない選挙、女性や少数民族への新たな保護、そして平和的・民主的な変革への現地の人々の要求が見られる。

 2005年11月にバーレーンのマナマ市で開催された「未来のためのフォーラム」には、BMENA16カ国の市民団体を代表する40人の指導者が、各国の外相とともに参加した。市民団体の指導者らは、いくつかの優先事項の概要を述べ、特に法の支配、透明性、人権、および女性の権利拡大に重点を置いた。この市民団体代表の中には、民主化支援対話(DAD)の代表もおり、選挙改革と合法的政党の展開という極めて重要な主題について、市民団体の指導者と政府関係者が1年間にわたって続けてきた討論・討議の結果を報告した。拡張を続けるDADのネットワークには、BMENA地域の数百人もの市民団体指導者も参加している。また、このフォーラムでは、同地域で拡大しつつある改革活動への支援を強化するために、市民団体に直接支援を提供する「未来のための財団」と、同地域への投資を支援する「未来のための基金」が発足した。未来のためのフォーラムにおける市民団体の参加の度合いは歴史的かつ建設的なものであり、政治改革の諸課題に関する、市民団体と政府の真の対話とパートナーシップの重要な前例を作った。

 未来のためのフォーラムは、米国と他のG8諸国、および地域の各国政府が、BMENA地域の改革を求める現地の人々の要望を支援するための、多くのメカニズムのひとつにすぎない。

 この報告書に表れているように、世界各地で人権と民主主義に対する要求が高まっていることは、弁証法の非人格的な作用の結果でもなく、外国政府の画策による結果でもない。むしろ、この要求は、尊厳と自由を持って生きることを願う人間の強い欲求と、あらゆる時代、あらゆる社会において、自由のために奉仕し犠牲を払う人々の個人的な勇気と忍耐力から生まれたものである。

 


日本

 日本は、人口およそ1億2780万人の議会制民主主義国家である。主権は国民が有し、天皇は国家の象徴と定義されている。小泉純一郎総理大臣が、自由民主党と公明党の連立政権を率いている。最近では、9月11日に総選挙が行われ、これはおおむね自由かつ公正な選挙として認められた。概して、文民当局が、治安部隊を効果的に管理した。

 日本政府は、人身売買に関して大きく前進したが、それ以外では、日本の人権実績にはほとんど変化が見られなかった。以下のような人権問題が報告されている。

人権の尊重

第1部 個人の人格の尊重(以下の状況からの自由

a. 恣意(しい)的または違法な人命はく奪

 2005年においては、政府またはその職員による恣意的または違法な人命はく奪は報告されなかった。

 11月に、名古屋地方裁判所は、2001年に名古屋刑務所で発生した受刑者の死亡事件で2004年に有罪判決を受けた同刑務所の看守2人に、執行猶予付きの懲役刑を科した。この受刑者は、高水圧ホースによる放水を受けた後、細菌性ショックで死亡した。

b. 失跡

 政治的動機に基づく失跡の報告はなかった。

c. 拷問およびその他の残酷、非人道的、または屈辱を与えるような処遇または処罰

 法律により、このような行為は禁止されており、実際に日本政府は、おおむねこれらの規定に従った。しかしながら、いくつかの弁護士会、人権団体および何人かの受刑者による個別の報告によると、時には警察官や刑務官が虐待行為を行っているという。

 刑務所規則はいまだに部外秘であるが、日本人受刑者を独房で数時間にわたり身動きせず正座することを強制したり、外国人受刑者や障害を持つ受刑者を固い背なしいすに座らせたりする懲罰が行われたことが報告されている。監獄法施行規則は、独居房留置期間を最長6カ月と規定しているが、引き続き刑務官が選別的な懲戒執行の幅広い裁量権を有しており、その懲戒の中には、1日以上60日未満の「準独房監禁」も含まれている。医療上あるいは人道上の理由を含むいかなる理由によっても、刑期の3分の2が終了しない限り、仮釈放は認められない。

 人権保護団体の報告によると、死刑囚は、刑務官以外の人間との接触がほとんどない状態で、何年にもわたり独居房に収監された。

 法律および刑法には、容疑者が犯行の自白を強要されることがないように、また容疑者が本人の自白のみを証拠に有罪判決を受けたり処罰されたりしないように保護するための条項がある。2004年とは異なり、2005年には、警察が、自白を得るために、取り調べ中に殴る蹴るなどの身体的暴行や心理的脅迫を使ったとの報告はなかった。裁判を受ける刑事事件のかなりの数の事件が、証拠に自白を含んでおり、日本の司法制度が罪の自白を重要視していることを反映している。

 2004年とは異なり、看守が女性受刑者を性的に虐待したとの報告はなかった。2003年に女性受刑者を強姦し妊娠させた刑務官が、1月28日に有罪判決を受け、3年の懲役刑を科せられた。2004年に女性受刑者と性的行為を行ったとされる男性刑務官に関する件の情報はなかった。

刑務所および拘置所の状況

 刑務所の状況は、概して国際基準に合致したものであった。しかしながら、いくつかの施設では、定員超過、暖房設備の欠如、医療スタッフの不足が見られた。

 2005年には、刑務所、拘置所、またはその他の政府施設において、劣悪な状況を原因とする死亡が報告された例はなかった。しかしながら、10月5日の日本弁護士連合会(日弁連)の報告によると、1999年から2002年までの間に7人の受刑者が独房に入れられた後に、医療の怠慢により死亡しており、彼らの人権が侵害された疑いがある。

 法務省は5月に、2004年には20人の受刑者が自殺したことを報告した。

 2004年には、日本の刑務所は定員の117%を収容していた。一部の刑務所では、独居房に2人の受刑者を収容したり、6人用の雑居房に8〜9人を収容したりする例が見られた。報道によると、刑務所職員は、過密状態の監房より独房監禁を好む受刑者もいる、と語っている。

 多くの施設では、いまだに冷暖房設備がない。8月に人権団体が報告したところによると、受刑者は、寒い気候から身を守るために必要な衣類や毛布を十分に与えられていなかった。

 十分な医療サービスのない刑務所もいくつかあった。受刑者は、食糧の割り当てが不十分であり、また食物の追加購入や差し入れが許されてないことに対する不満を述べた。

 男性と女性の受刑者は、それぞれ別の施設に収容されたが、男性刑務官が、時として女性受刑者の監視に当たっていた。

 日弁連によると、当局は受刑者が授受する書簡を読むことができ、内容が「不適切」と見なされた場合には、その書簡を検閲または没収できる。新しい受刑者の書簡のやりとりは1日1通に制限されている。ほとんどの場合、既決囚への訪問は監視されるが、未決囚は、監視されずに、弁護士と面会することができる。

 2005年には、それまでとは異なり、日本政府は、刑務所の状況の独立した監視を選択的に許可した。受刑者と外交官の面会は、時には刑務官が立ち会い、メモを取ることもあった。アムネスティ・インターナショナルの報告によると、日本政府は、2004年に比べると、同組織代表による刑務所訪問の許可を拡大した。しかしながら、人権団体が日常的に受刑者との面会を認められたわけではない。

d. 恣意的逮捕または拘留

 法律により恣意的逮捕や拘留は禁止されており、日本政府は、概してこの禁止を順守した。

警察および治安維持組織

 警察は、国内の法執行および秩序の維持の責任を負っている。自衛隊は、対外的な安全保障の責任を負うとともに、国内の治安維持にも限られた責任がある。総理大臣の管轄下にある独立機関である国家公安委員会は、警察庁を監督する。各都道府県に、公安委員会および警察本部がある。国家レベルでも都道府県レベルでも、警察内部の汚職や刑事免責の問題はなかった。

 警察法では、警察に対する苦情申し立てを国家公安委員会および各都道府県公安委員会に提出できると定めており、これらの公安委員会は、警察に捜査を行うよう命令する権限を有する。警察の不祥事に対する警察および公安委員会の捜査は手ぬるいとする主張が続いている。

逮捕と拘留

 個人の逮捕は、正当な権限を持つ当局者が十分な証拠に基づいて発行した令状により、公然と行われ、拘留者は、独立した司法制度による裁きを受けた。

 法律により、拘留者には、その拘留の合法性に関する司法決定を直ちに受ける権利が与えられており、当局は実際にこの権利を尊重した。法律により、当局は拘留者に対して、直ちに容疑を知らせなければならない。当局は、容疑者を、通常の拘置所または「代用」(警察)拘留施設に、72時間まで留置することができる。拘留前に、裁判官が被疑者を面接しなければならない。検察官の請求により、裁判官は、起訴前の拘置期間を10日間(必要があればさらに10日間)延長できる。この延長は、日常的に申請され、許可された。極めて特殊な状況の場合、検察官はさらに5日間の延長申請を行うことが可能であり、起訴前の拘留期間は最長28日間となる。

 刑事訴訟法により、拘留者、その家族、または代理人は、裁判所に対して、拘留者の保釈を要請することができる。通常、裁判所は、拘留者に逃亡の危険性がある場合、重罪の容疑がかかっている場合、または拘留者が証拠を改ざんすると裁判所が考えた場合を除き、保釈を許可する。保釈金の額は、罪の内容と、拘留者の性格および資産によって決められる。報道によると、保釈金の額は、およそ1万3000ドル(149万円)から、およそ1300万ドル(14億9000万円)までとなっている。

 当局が、弁護士と被疑者との接見が捜査に影響を及ぼすと考えた場合には、警察と検察がそうした接見を管理または制限することができる。被疑者を弁護士との接見をさせずに拘留できる期間は最高23日間である。いかなる時点においても、取り調べ中に弁護士が同席することは認められない。国選弁護人は、起訴後まで認められず、被疑者は、起訴前の弁護士雇用は自費で行わなければならない。各地域の弁護士会が、限定的な無料弁護を拘留者に提供している。家族が拘留者と面会することは許可されているが、その際には刑務官の立ち会いがなければならない。

 弁護士接見が、時間と回数の両面で制限されているとの批判があったが、日本政府はこのような批判を否定している。また、被疑者が、取り調べを行う当局者によって拘留されることは、暴行や自白強要の可能性を高めるという批判もあった。これに対して、政府は、警察の拘留施設に送致される人々の事件は、事実認定が争点とはなっていないものが多い、と反論している。

e. 公正な公開裁判の拒否

 法律により、独立した司法制度が規定されており、日本政府は、実際面で、おおむねこの規定を順守している。

 裁判所には、家庭裁判所、簡易裁判所、地方裁判所、高等裁判所、および最高裁判所などいくつかのレベルがあり、最高裁判所が最終的な上訴裁判所である。通常、裁判は、地方裁判所で開始され、その判決を高等裁判所に控訴し、最終的には最高裁判所に上告することができる。

 刑事裁判の大半は、妥当な期間内に完了したが、時には審理と控訴の過程に数年を要する場合もあった。

審理手続き

 法律により、公正な裁判を受ける権利が規定されており、独立した司法制度が、概してこの権利を執行した。法律は、この権利をすべての市民に適用しており、また起訴された個人がすべて独立した民間の裁判所で公開裁判を受けること、弁護人を得られること、そして反対尋問の権利を与えられることを保証している。陪審裁判は行われていない。

 政府は概して、実際面で、あらゆる刑事訴訟において公正な法廷による迅速な公開裁判の権利を提供するという法律の規定を順守した。2003年と2004年における刑事事件の裁判期間は、平均3.2カ月であった。被疑者が裁判を受け始めるまでの期間は、犯罪の性質にもよるが、逮捕された日から3カ月を超えることは、まれで、平均で1〜2カ月であった。

 被告は、法廷で有罪と証明されるまで、無罪と推定される。法律により、被告は、自己に不利益な供述を強要されない権利、また弁護人への自由かつ非公開のアクセスを得る権利を規定されている。被告は、法律により、法律の遡及(そきゅう)適用から保護されており、正式な起訴の後には有罪を示す証拠へのアクセスの権利を有するが、これらの権利に対する政府の解釈には批判が出ている。政府は、弁護人との協議の権利は絶対的なものではなく、憲法の精神に合致する範囲内で制限することができる、と主張した。その結果、被告による弁護人へのアクセスが短縮されることもあった。例えば、法律により、検察官は起訴前の弁護人へのアクセスを管理することができる(第1部d項を参照)。検察官による全面的な開示が法律で義務付けられておらず、検察が法廷で使用しない資料は隠すことができる。被告の法定代理人が、警察の記録にある必要な関連資料のすべてを入手できない場合がある、との批判もある。裁判の判決に不服のある被告は、上級裁判所へ控訴することができる。

 外国人被告からは、彼らが公正な裁判を受けられないとの苦情がよく聞かれた。2005年には、裁判官、弁護士、および日本語を話せない被告の間の意思疎通の質に関して、一定の水準を義務付けるガイドラインは存在せず、法廷通訳者を認証する標準的な免許あるいは資格取得の制度もなかった。被告のための翻訳や通訳がない状態でも裁判が行われた。外国人拘留者が、警察によって、十分な翻訳もなく読むことのできない供述書に署名をすることを強要された、と申し立てる例が多く見られた。

政治犯

 政治犯が存在するとの報告はなかった。

f. プライバシー、家族、家庭、または通信への恣意的な干渉

 法律は上記のような行動を禁止しており、政府は概してこれを順守した。

第2部 市民の自由の尊重

a. 言論と報道の自由

 法律では言論の自由と報道の自由が認められており、概して日本政府は実際にこうした権利を尊重した。また学問の自由あるいはインターネットを制限しなかった。独立した報道機関、効果的な司法制度、および機能する民主的政治制度が相まって、言論と報道の自由が確保された。

b. 平和的な集会および結社の自由

 法律は集会と結社の自由を規定しており、概して政府は実際にこれらの権利を尊重した。

c. 信教の自由

 法律は信教の自由を規定しており、概して政府は実際にこの権利を尊重した。過去には、統一教会が、同教会の信者に対する拉致や強制棄教が行われたとの主張に政府が対応しなかった、と申し立てたが、こうした申し立ては減少した。統一教会指導部によると、拉致が減少したのは、政府が、強制棄教を行う者を起訴する意欲を強めているからだという。しかしながら、同教会指導部は引き続き、政府の拉致者を起訴しようとする意欲のなさに対して懸念を表明した。教会関係者によると、拉致には、被拉致者の家族が関与している場合が多いため、警察は介入を拒否したという。

社会的な虐待および差別

 宗教的グループ間の関係は概して友好的であった。日本国内にはユダヤ教信者約200世帯が居住していると推定されるが、反ユダヤ主義の活動の報告はなかった。

 詳しくは、「信仰の自由に関する2005年国際報告書」を参照。

d. 国内の移動、国外旅行、移民、および本国帰還の自由

 法律は、上記の各権利を規定しており、概して政府はこれらを尊重した。

 法律により国外追放は許可されておらず、政府がこれを実行することもなかった。

難民の保護

 法律により、国連の1951年難民の地位に関する条約およびその1967年の議定書に従って、難民の地位または亡命者としての保護を提供することが規定されており、日本政府は、難民に保護を提供する制度を確立している。実際面では、政府は、ルフールマン(迫害されると恐れている国に個人を強制送還すること)からの保護をある程度提供した。政府が、難民または亡命者の認定を日常的に行うことはなかった。

 1月18日に、2003年の東京高等裁判所の判決に従い、日本政府は、国連難民高等弁務官事務所が難民と認定していたトルコ国籍のクルド人男性とその息子を、国外退去させた。東京高等裁判所は、その判決に際して、上訴人がトルコに帰国していること、および上訴人が初めて日本に入国したときに比べ、トルコに民主主義が拡大していることを挙げた。

 2005年に、日本政府が難民の再定住を認めた例はなく、また1951年の条約あるいは1967年の議定書に基づき難民と認定されない可能性のある個人に一時的な保護を提供することもなかった。

 法務省によると、2004年には、67万3240人が入国管理センターに拘留された。過去に見られたように、強制送還が秘密裏に行われたとの報告はなかった。2004年7月から9月まで、クルド人の2家族が、国外退去命令を受けたことに対して、東京の国連大学前で72日間にわたる抗議活動を行った。

 近年、日本政府が、迫害の恐れを訴える外国人に対して難民および亡命者の認定をした例はわずかしかない。2004年に法務省に提出された難民認定申請426件のうち、政府は、ビルマ、トルコ、バングラデシュ、イラン、中国、パキスタン、およびカメルーンからの計15人に亡命を認めた。

第3部 政治的権利の尊重 − 国民が政府を変える権利

 法律は、国民が平和的に政府を変える権利を規定しており、日本国民は、普通選挙権に基づいて定期的に行われる自由かつ公正な選挙を通じて、この権利を行使した。

選挙と政治参加

 日本では最近、2005年9月11日に総選挙が行われた。不正行為の報告はほとんどなく、おおむね自由かつ公正な選挙が行われたと見なされている。

 1990年代の短期間を除き、1950年代半ば以降はどの政権においても自民党が第1党であった。政治的な反対勢力に対して政府が制約を加えた例はなかった。個人は自由に選挙に立候補することができた。

 9月11日の総選挙では、1946年に初めて国会に女性議員が誕生して以来、衆議院で最多数の女性議員が当選した。衆議院では480議席中43議席、参議院では242議席中34議席を女性議員が占めた。また、総理大臣が指名した18人の閣僚中2人が女性である。地方では、女性知事が4人、女性副知事が7人となり、このレベルで公職に就いている女性の数としては過去最高となった。

 マイノリティーの政治参加に関する政府の公式データはなかった。

政府の汚職と透明性

 2005年には、政府の汚職に関する単発的な報告がいくつかあった。警察庁の1〜6月のデータによると、贈収賄による逮捕が39件、談合による逮捕が9件あった(2004年の逮捕件数は、贈収賄が72件、談合が11件)。

 法律により、政府の情報の一般公開が規定されている。政府が、情報公開の合法的な要請を拒否したり、情報入手のために法外な料金を課したりしたとの報告はなかった。

第4部 人権侵害の疑いに対する国際および非政府機関の調査に対する政府の姿勢

 国内外の多くの人権団体が、概して政府による制約を受けずに活動し、人権訴訟について調査をし、調査結果を公表した。政府関係者は、全般的に協力的であり、こうした団体の見解に対応した。

第5部  差別、社会的虐待、人身売買

 法律により、人種、性別、障害、言語、および社会的地位に基づく差別は禁止されている。概して政府はこれらの規定を実行したが、女性、日本の民族的マイノリティー、および外国人に対する差別の問題は続いている。

女性

 女性に対する家庭内暴力は、法律で禁止されている。法律により、地方裁判所は、家庭内暴力の加害者に6カ月間の接近禁止命令を出すことができ、違反者には最高懲役1年の刑または最高9520ドル(100万円)の罰金を科すことができる。この法律は、内縁関係にある者や離婚している者にも適用される。またこの法律は、各県が家庭内暴力の被害者用の避難施設を拡張することを奨励し、すでにそうした施設を運営している40の民間機関に地方自治体が財政援助を行うことを要求している。この法律は2004年に改正され、それにより、配偶者暴力の定義が拡大され、精神的、性的、および身体的虐待を対象とするようになり、また接近禁止命令の期間が2カ月間に延長された。

 家庭内暴力は、報告されないことが多かった。これは、家族の恥となることや、配偶者や子どもの評判を傷つけることを恐れる、社会的、文化的な懸念による。その結果として、女性に対する暴力に関する警察庁のデータは、おそらくこの問題の規模の大きさを十分に表していないと思われる。内閣府によると、配偶者による虐待を受けた女性のうち42%は、これを報告しなかった。2004年に、全国各地の配偶者間暴力相談所では、家庭内暴力に関する相談が計4万9329件あり、そのうち4万9107件が女性による相談であった。警察庁のデータによると、2004年には家庭内暴力の疑いのある事件が1万4264件あった。報告された事件に対しては、警察は迅速に対応した。警察は、被害者に、自らを守る手段を教え、接近禁止命令申請の方法を教えた。2004年には、計5505件の申請があり、裁判所は4436件の接近禁止命令が出された。

 法律により、配偶者間の強姦も含め、あらゆる強姦が犯罪とされている。警察庁によると、2004年には2176件の強姦が報告され、2005年には1月から11月までの期間に1945件が報告されている。夫が配偶者強姦の罪で起訴される例もいくつか見られた。2004年には集団強姦事件118件が報告され、2005年には1月〜11月までの期間に109件が報告された。集団強姦罪には、最低懲役4年の刑が科される。多くの地方自治体では、虐待を受けた女性に対する内密の支援を提供するために、警察や県庁内に女性のための特別相談所を設置した。

 地方自治体や私鉄は、通勤電車でしばしば見られる女性に対する痴漢行為に対処する諸措置を取った。いくつかの鉄道会社は、さまざまな電車に女性専用車両を導入している。また、痴漢防止条例により、痴漢の初犯に懲役刑が適用できる。

 売春は違法であるが、行われている。セックス・ツアーは、それほど数多くはなかった。政府は引き続き、売春のための女性の人身売買の問題に取り組んでいる(第5部の「人身売買」を参照)。

 法律により性別による差別は禁止されている。しかしながら、職場におけるセクハラ(性的嫌がらせ)が引き続き広く行われた。2004年には、厚生労働省に、職場におけるセクハラの報告が7706件提出された。人事院は、公務員の職場におけるセクハラをなくすための規則を制定した。法律には、セクハラ防止を怠った企業名を明らかにする措置が規定されているが、違反した企業の名前の公表を認める以外には、順守を強化するための懲罰的措置は含まれていない。多くの政府機関が、差別やセクハラに関する苦情に対処するために、ホットラインを設置したりオンブズマンを指名したりしている。12月13日に厚生労働省は、セクハラの結果として生じた精神疾患は、法に基づき補償の対象となることを、全国の労働局に通告した。また政府は、民間企業および公的機関がセクハラ防止の自主活動を行うことを奨励し、支持した。

 法の下で、女性には男性と同じ権利が与えられている。総務省によると、女性が労働力の40%を占め、15〜64歳の女性の労働力参加率は48.3%であった。法律によって賃金差別が禁止されているにもかかわらず、女性の平均時給は男性の平均時給のわずか67.4%であった。この格差の主な原因は、民間企業の多くが採用している「二重」の人事管理制度による。これは、男性社員を高給の管理職コースに乗せる一方で、同等の資格を持つ女性社員を、より給与の低い事務職コースに導く制度である。

 東京高等裁判所によると、慰安婦(第2次大戦中に日本軍兵士のために売春婦となることを強要された女性)の問題に関して係争中の訴訟はなく、2004年にすべての訴訟の判決が下された。1995年に慰安婦に対する償いを表わすために設立されたアジア女性基金を通じて、政府は元慰安婦のための各種医療・福祉支援計画に資金を提供している。この基金は、2007年3月に閉鎖される予定である。

 2000年の男女共同参画社会基本法は、政府、政治、および民間部門の雇用などの分野における男女の不平等に対処している。また、男性と女性が、仕事と家庭や地域社会での生活を調和させ、女性に対する暴力をなくし、女性の人権尊重を奨励する活動を支援することを目標としている。この法律に従い、施行を監視するために男女共同参画審議会が設置された。その高官レベルのメンバーには、内閣官房長官、閣僚、そして男女平等に関する問題に詳しい国会議員らが含まれている。2005年に、同審議会は、男女平等の基本政策を話し合い、男女平等達成への前進を測定し、政府の政策が男女平等のプロセスに及ぼす影響を調査するために、定期的に会議を行った。

子ども

 日本政府は、子どもの権利と福祉を確約しており、概して子どもの権利は十分に保護された。

 公的学校教育(訳注=高専、大学等を除く)は12年間までである。初等教育の授業料は無料であり、前期中等教育まで(15歳または中学3年生まで)は義務教育である。最低限の学力基準に達している生徒に対しては、後期中等教育(18歳まで)の門戸が広く開かれていた。日本の社会は、教育を極めて重要視しており、文部科学省によると、後期中等教育の就学率は、男女共に94.4%を超えた。どの学年においても、男子と女子の扱いに差異はなかった。

 日本政府は、子どもも含め、すべての国民に、国民皆保険制度を提供している。

 家庭における児童虐待の頻発に関する報道に国民の注目が集まりつつある。法律により、児童福祉職員は、虐待をする親が子どもと会ったり連絡をとったりすることを禁止する権限を与えられている。また法律により、しつけの名目で虐待をすることが禁じられているほか、教師、医師、および福祉関係者は、疑わしい状況があれば、全国各地にある児童相談所または地方自治体の福祉センターに報告することが義務付けられている。

 厚生労働省は、2000年に児童虐待防止法が制定されてから2003年6月までの期間に、127人の子どもたちが児童虐待によって死亡していると報告した。警察庁によると、2004年には、51人の子どもたちが虐待によって死亡した。

 内閣府によると、2003年の児童虐待件数は2万3738件であった。厚生労働省によると、2004年の児童虐待件数は、2万6569件と記録的であった。そのうちほぼ50%が暴力による虐待であり、40%が親による放置であった。児童福祉センターへの電話件数も、2003年には2万6573件の新記録となり、前年比2800件増加した。

 未成年者の人身売買、十代の売春、援助交際、および児童ポルノが引き続き問題となった。日本政府によると、年間を通じて、インターネットの出会い系サイトに関連する性犯罪が1582件あった。

人身売買

 人を奴隷的拘束の対象とすることは、法律により禁止されており、日本政府は、各種の労働法・入国管理法を適用して、人身売買関連の訴追を行った。2005年に行われた刑法の改正により、人身売買が定義され、刑事罰の対象となり、人身売買に関連した犯罪に対する処罰が重くなった。

 2004年12月に、政府は人身売買と戦うための行動計画を発表した。政府は、防止、訴追、および人身売買被害者の保護に重点を置き、「興行ビザ」発行の制限、移民管理の強化、人身売買を新たなカテゴリーの犯罪とするための刑法改正、およびシェルター、カウンセリング、本国送還の援助を通じた被害者保護の強化を実行した。また、この行動計画は、性風俗産業で働く外国人女性が売春を強要されることを防ぐ事業主の責任を拡大するために、同産業を規制する法律を改正している。

 警察庁の報告によると、2005年の11月までの人身売買捜査件数は54件であった(2004年には79件)。2004年の警察庁の報告では、人身売買に関連する罪で58人が逮捕され、48人が起訴された。警察庁は、人身売買事件への対処を改善し、地方警察に対して、人身売買被害者の身元確認と処遇に関するガイドラインを提供した。また警察庁は、人身売買事件に関して外国の法執行機関との協力を拡大するための具体的な措置を取った。

 日本国内への女性や少女の人身売買が問題となった。主としてタイ、フィリピン、および東欧諸国の女性や少女が、性的搾取および強制労働を目的に、日本国内へ売買された。これより人数は少ないが、コロンビア、ブラジル、メキシコ、韓国、マレーシア、ビルマ、およびインドネシアの女性や少女も、日本へ人身売買された。日本は、中国からの不法移民の目的地でもあり、犯罪組織によって人身売買された中国人不法移民が、性的搾取あるいは搾取工場やレストランでの契約労働のために、債務によって束縛された。政府の報告によると、一部の人身売買業者は、協力を強制するために、殺人や誘拐という手段を使った。

 日本へ人身売買された女性の人数に関して、信頼できるデータは入手不可能であったが、米州機構が2月に発表した報告によると、年間推定1700人の女性が、中南米およびカリブ海諸国から日本へ人身売買されている。そのうちかなりの数の女性が、コロンビア、ボリビア、ブラジル、メキシコ、およびペルーの国民であった。2005年に人身売買の被害者と確認された東南アジアおよび東欧諸国出身の女性51人の内訳は、フィリピン人が20人、タイ人が17人、インドネシア人が4人、ルーマニア人が4人、台湾人が3人、そして韓国人、オーストラリア人、およびエストニア人が各1人であった。

 売買された女性が、その「契約」の売却によって他の雇用者のために働くことを強制されるという形で、日本国内での人身売買が行われたことを示す証拠もあった。児童売春も問題となった(第5部の「子ども」を参照)。

 1月から6月までの期間に、警察は、人身売買事件29件を送検した。これは前年同期に比べ16件の増加であった。2004年に警察庁は、人身売買に関連する罪で41人を逮捕した。このうち8人が人身売買業者であった。これらの逮捕者のうち36人が有罪判決を受け、その結果、14人が懲役刑、17人が罰金刑、5人が罰金と懲役刑を科された。年間を通じて、人身売買の主な送出国から日本に入国する旅行者の審査を強化し、人身売買業者が利用することの多い興行ビザの発給基準を厳しくするための取り組みが行われた。5月15日に、日本政府は、フィリピン人に対する興行ビザ発給規則の強化を開始した。

 日本政府は、日本国内で不法就労をする契約を自発的に結んだ者を、その就労環境にかかわらず、常に人身売買の被害者と見なしたわけではない。従って、政府のデータは、問題の規模を過小評価している可能性がある。ある仕事に就くことに合意した者が別の仕事をさせられたり、暴力、詐欺、あるいは強制の対象となったりする例もあったからである。しかしながら政府は、法執行職員への訓練を改善することにより人身売買被害者の確認に前進を見せた。

 過去には、日本へ人身売買された多くの女性が、興行ビザで合法的に入国していた。「エンターテイナー」には、労働基準法が適用されず、最低賃金による保護もない。

 本国のブローカーが女性を募集し、仲介者に「売却」し、仲介者が女性を借金で束縛し、労働を強制した。性的搾取を目的とする人身売買の仲介者、ブローカー、および雇用者は、組織犯罪とつながりのある場合が多かった。

 日本へ人身売買された女性は、通常、性風俗サービスを提供する許可を得た事業で、強制的に売春婦として働かされていた。性風俗産業には、ストリップクラブ、ポルノショップ、ホステス付きバー、個室ビデオなど「店舗型」の事業と、エスコートサービスや通販ビデオなど、性的サービスを派遣する「非店舗型」の事業がある。NGOおよびその他の信頼性のある情報源によると、性的搾取のために日本へ人身売買された女性の大半は、「スナック」バーのホステスとして雇用され、店舗外で性的サービスを提供することを強要されていた。

 概して、人身売買の被害者は、来日してからの自己の借金の規模、返済に要する期間、あるいは日本での雇用の条件を把握していなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、「デート」バーで働くために人身売買された女性は、通常、雇用者にパスポートを取り上げられ、本人の「購入」費用の返済を要求された。通常、こうした女性は、2万8570〜4万7620ドル(300万〜500万円)の料金、生活費、医療費(雇用者が提供した場合)、およびその他の必要経費の支払いを要求された上に、反抗を理由に当初の「借金」に「罰金」が追加された。借金の計算方法は雇用者が決めることができ、その過程は不透明であった。また雇用者が借金を利用して、人身売買された女性にさらに無賃金で働くことを強要することが多かった、と報告されている。また雇用者は、問題を起こす女性や、HIVに感染している女性を「転売」あるいは、転売すると脅して、女性の借金額を増やし、労働環境を悪化させることもあった。

 風俗産業のために人身売買される女性の多くは、雇用者によって移動の自由を厳しく制限され、逃亡を試みたならば、本人または家族に、時には犯罪組織のメンバーによって報復が行われる、と脅されていた。多くの場合、雇用者はこれらの女性を孤立させ、常に監視下に置き、反抗すれば懲罰として暴力を振るった。一部のブローカーは被害者を服従させるために麻薬を使った、という報告もある。また被害者の女性の多くは、パスポートあるいはその他の身分証明書を持たずに発見されれば、逮捕されることを知っていた。また、日本語を十分に話せる被害者は非常に少なく、そのため逃亡は一層難しかった。

 政府は、人身売買被害者を確認する技術を改善し、人身売買の犯罪的な性質を強調するために、法執行職員の訓練を改善する活動を開始した。しかしながら、引き続き、警察が人身売買の被害者を十分に確認できなかったとの報告、あるいは被害者から得た証拠を提出されても、疑われているブローカーを取り調べようとしなかったとの報告がある。

 東京都と神奈川県は、人身売買の被害者を支援する地元のNGOに資金を提供した。日本政府は、人身売買被害者を女性相談センターやNGO運営のシェルターに収容するようになった。通常、こうした人身売買の被害者は、加害者に不利な証言をするよう励されることなく、本国へ送還された。2004年に日本政府は、被害者を直ちに強制送還の対象となる犯罪者として扱わないという行政上の決断を下した。これにより、政府は人身売買業者に対する立件ができるようになった。本国への帰国に必要な資金または書類を持たない被害者は、援助を受けるために国際移住機構に紹介された。全国各地のいくつかのNGOが、人身売買の被害者に、シェルター、医療援助、および法的支援を提供した。

障害者

 法律により、雇用、教育、および医療へのアクセスにおける身体障害者や精神障害者に対する差別は禁止されており、日本政府はこれらの規定を効果的に実施した。

 障害者は、一般に、雇用、教育、またはその他の公共サービスにおいて公然と差別されることはなかったが、実際面では、こうしたサービスへのアクセスは限られていた。労働省の障害者雇用審議会は、従業員300人以上の民間企業が一定の比率以上の障害者を雇用することを義務付けた。これを順守しない企業は罰金を科せられる。

 法律では、建造物を障害者のためにアクセスしやすくするよう義務付けられていない。ただし、公共施設の建築基準に関する法律では、病院、劇場、ホテル、および同種の事業の経営者が、障害者用の幅の広い入口やエレベーターを設置する場合には、低金利の融資および税控除を受けることを認めている。

 障害者雇用促進法は、精神障害者にも適用される。また同法では、障害者の雇用を促進する、地域の支援センターの許可要件が緩和されるとともに、精神障害者のパートタイム雇用のための政府補助金が導入された。厚生労働省によると、障害を持つ労働者25万7939人が民間企業に雇用されていた。これは、一般従業員全体の1.46%であり、法律で定められている比率である1.8%を多少下回った。オムロン、ソニー、ホンダなど数社の大企業では、特別に障害者部門を設置していた。例えば、オムロンの京都工場では、スタッフ207人のうち62%が障害者であり、その過半数が重度の障害を持っていた。これらの従業員の平均年収は2万9000ドル(300万円)で、最低賃金を上回っている。

 政府は、障害者が市民活動に参加する権利を支援した。

国籍・人種・民族に基づくマイノリティー

 部落民(封建時代に「社会的に疎外された者」の子孫)、韓国・朝鮮人、および外国人労働者は、その程度はさまざまであるが社会的差別を受け、その一部は深刻かつ長期にわたるものであった。

 およそ300万人いる部落民は、政府による差別は受けていないが、住居や雇用の機会を制限されるなど、深く根付いた社会的差別の被害者となることが多かった。

 法務省によると、2004年末時点で197万人近くの外国人が合法的に日本に居住していた。その中で最も人数の多かったのは在日韓国・朝鮮人(60万7419人)で、これに中国人(48万7570人)、ブラジル人(28万6557人)、フィリピン人(19万9394人)が続いた。差別に対する法的な保護措置の改善にもかかわらず、韓国・朝鮮人永住者(その大半は日本で生まれ、育ち、教育を受けている)は、さまざまな形で、深く根付いた社会的差別の対象となった。2002年に北朝鮮が、十何人もの日本人を拉致したことを認めてから、北朝鮮を支援する組織や個人に対する嫌がらせや脅迫が増えたことが報告されている。その他の外国人も差別の対象となった。日本国民の間では、外国人が多くの犯罪を起こしているとの認識が広がっていた。政府が2004年5月に発表した調査結果によると、国民の70%超が、不法就労の外国人の増加は、治安の悪化および外国人労働者自身の人権侵害につながる可能性があることを懸念していた。しかし、80%超は、日本は条件付きまたは無条件で外国人労働者を受け入れるべきであると回答した。

 2003年に開設された入国管理局のウェブサイトは、住民が「近所迷惑となる」、「不安を生じさせる」などの理由で、不審な外国人の氏名、住所、または職場を通報する手段を提供し、論議を呼んだ。人権団体からの抗議を受けて、このサイトは2004年3月に修正され、あらかじめ設定された通報理由は削除されたが、サイト自体は年末時点で運用されていた。

 法律により、日本に5年間連続して居住した外国人は、帰化および国籍取得の資格を与えられる。これには選挙権も含まれる。しかしながら、実際には、有資格の外国人の大半は、日本国籍を申請していない。これは、ひとつには、文化的アイデンティティーの喪失を恐れるためである。帰化を阻む障害としては、審査を行う担当官に広範な自由裁量が認められていること、日本語の能力が極めて重視されることなどがある。また、帰化手続きには厳しい身元調査が必要であり、申請者の経済状態や社会への適応状況なども調査される。韓国・朝鮮人には、日本語の姓を採用する選択肢が与えられた。日本政府は、この帰化手続きは、外国人が社会にスムーズに同化できるようにするために必要なものである、と主張した。

先住民

 日本政府によると、日本に先住民グループは存在しない。しかしながら、日本の先住民の子孫であるアイヌ民族は、自らがそうした先住民グループであると主張している。1899年の法律の下で、政府は、アイヌに対する同化の強要、日本語教育の強制、そしてアイヌが伝統的慣習を継続する権利の拒否、という政策を進めた。また、この法律は、アイヌに、当初所有していた土地の約0.15%について管理権を与え、共有財産を管理する権限を日本政府に与えた。

 1997年に制定された法律により、アイヌは少数民族と認定され、全都道府県がアイヌの文化と伝統を振興する基礎的なプログラムを策定することを義務付けられ、アイヌを差別した旧法が無効とされ、北海道政府がアイヌの共有財産を返却することが義務付けられた。しかしながら、この法律は、アイヌを北海道の先住民族と認めるには至らず、アイヌが明確な民族グループとして特別な権利を与えられるべきかどうかには触れず、アイヌの人権保護を義務付けていなかった。拘束力を持たない付帯決議では、アイヌは法的なマイノリティーとされている。国連先住民族作業部会の特別報告官は、アイヌはいかなる国家とも合意に基づく法的な関係を結んだことがないと述べ、そうした合意の欠如がアイヌから権利を奪っていることを指摘した。多くのアイヌは、アイヌ文化振興法はアイヌの政治的権利を促進していないと批判し、また日本政府が文化活動以外に、アイヌの生活水準や経済的地位を向上させる活動に資金を提供していないことを批判した。アイヌ語の新聞やラジオ番組、アイヌ文化を研究する講座などが増えてはいるが、アイヌは引き続き社会的な差別を受けた。

第6部 労働者の権利

a. 結社の自由

 法律は、労働者が事前に認可を受けたり、過度の要件を満たしたりせずに、組合を結成し、自分が選んだ組合に所属することを認めている。労働組合は、政府の統制や影響を受けなかった。全国の労働人口のおよそ19.2%(1030万人)が、労働組合に所属していた。

b. 団結権と団体交渉権

 法律により、労働組合は干渉されることなく活動することが認められており、政府は実際にこの権利を保護した。団体交渉権は法律により保護されており、自由に行使された。組合には、ストライキをする権利があり、労働者は、実際にこの権利を行使した。

 日本には、輸出加工区はない。

c. 強制労働の禁止

 法律により強制労働は禁止されており、これは子どもにも適用される。しかしながら、大人の労働者を対象にそのような強制労働が行われたとの報告がいくつかあった(第5部を参照)。

d. 児童就労の禁止と雇用の最低年齢制限

 法律は、職場における子どもに対する搾取を禁止しており、日本政府は法律を効果的に実施した。執行の責任は厚生労働省にある。社会的な価値観と、労働基準法の厳しい執行により、子どもたちは職場における搾取から保護されている。児童就労の問題はなかった。法律により、15歳未満の子どもを雇用することはできず、18歳未満の子どもを危険なあるいは有害な仕事のために雇用することはできない。例外として、芸能界では、子どもは13歳から働くことができる。

e. 許容される労働条件

 最低賃金は、地域(都道府県)および産業別に、労働者、雇用者、および一般市民の3者から成る審議会に諮問した上で、設定される。最低賃金の適用される雇用者は、その最低賃金を表示しなければならない。最低賃金は広く順守されたと見なされている。都道府県により、最低賃金は、時給5.77ドル(606円)から6.76ドル(710円)という幅があった。最低賃金の日給は、労働者とその家族がある程度の生活水準を維持するのに十分であった。

 法律により、ほとんどの産業で労働時間は週40時間と規定されており、週40時間、または1日8時間を超えて働いた場合には、割増賃金を支払うことが義務付けられている。しかしながら、政府職員を含め労働者が、日常的に、法律で定められた労働時間を超えて働いていたことは、国民の広く認めるところである。労働組合は、政府が労働時間制限の執行を怠っている、と批判することが多かった。

 活動家団体は、日本語や日本における法的権利をほとんど、または全く知らないことが多い外国人を、雇用者が搾取または差別している、と主張した。日本政府は、そうした労働者の雇用者を起訴することによって、不法外国人労働者の流入を制限しようとした。法律では、外国人の不法就労者を雇用する者に対する罰則が規定されている。2004年12月には、外国人不法就労支援の罰金の最高額が2万9000ドル(300万円)に引き上げられた。政府は、外国人労働者の問題の調査を継続した。また、いくつかの市民団体が、外国人不法就労者と共同で労働者の権利に関する情報へのアクセスを改善する活動を行った。

 政府は、労働安全・衛生基準を設定した。厚生労働省は、労働安全・衛生に関する各種の法律・規制を効果的に実施した。労働基準監督官は、安全ではない操業を直ちに停止させる権限を有し、また法の規定に基づき、労働者は、雇用の継続を脅かされることなく、職業安全について懸念を表明し、安全ではない労働環境から移動することができる。