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*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2004年 国別人権報告書(抜粋)

米国国務省民主主義・人権・労働局発表

2005年2月28日

前書き

 ブッシュ大統領は、2期目の就任演説で、米国が世界各地で自由と人間の尊厳を支持することを改めて確約した。

 今や、米国の極めて重要な国益と、その最も強固な信念とが、一致している。建国の日から、われわれは、地球上のすべての男女は天地の創造者のかたちに造られたものであり、従って権利と尊厳と他に比類のない価値を有する、と宣言してきた。また、われわれは何世代にもわたって、自治の必要性を宣言してきた。それは、何者にも主人となる資格はなく、また何者にも奴隷となるいわれはないからである。こうした理想の推進が、米国の建国の使命であり、われわれの祖先の高貴な業績であった。そして今、それは米国の国家安全保障の緊急要件であり、この時代の使命でもある。

 従って、世界の圧政に終止符を打つという最終的な目標に向けて、あらゆる国家と文化において民主主義の動きと制度の発展を求め、支持することが、米国の政策である。

 「国別人権報告書」は、米国および世界各国が、人々の自由の状況を評価し、その促進の努力を先導するために使うことのできる、重要な枠組みを提供するものである。こうした報告書を誠実に作成することによって、われわれはより効果的に抑圧に対抗し、人間の尊厳と自由を支持する能力を備えることができる。世界各国の米国大使館およびワシントンの米国政府職員は、各国の市民、人権団体およびその他の組織、ならびに地域の指導者と緊密に協力し、情報の確認、調査、検証を行っている。この人権報告書は、世界中の人々の大半が使用する各言語で利用可能で、その内容は、議論を促進し、人権擁護に対する支持を推進し、前進の評価を可能にするとともに、改善の必要な部分を示すものである。

 過去12カ月間にわたり、われわれは国際社会と緊密に協力しながら、グアテマラ、インドネシア、ガーナ、ウクライナ、アフガニスタンなどの国で、自国の政府を選ぶ国民の1票が真に重みを持つことができるように支援をしてきた。これらの諸国における実績にすでに表れ始めているように、こうした効果的な参政権に対する基本的な権利は、その他のさまざまな権利促進への扉を開くものである。

 この第28版人権報告書は、最も強固な人権擁護国家から、人間の尊厳を侵す最悪の人権侵害国家まで、196カ国を対象としている。われわれは、この報告書に記載する情報を、できる限り正確、慎重、かつ注意深く報告する責任を真剣に引き受けている。

 この報告書の情報は、われわれが自由と個人の自由を促進する戦略を立てることを可能 にするものである。向こう数カ月の間に、われわれは人権と民主主義の支持のために過去1年間にとった具体的な諸措置について報告する。

 この報告書を作成するためには、国務省内外の熱心な努力と広範な協力があったことに留意した上で、私はここに米国国務省の「2004年国別人権報告書」を米国連邦議会に提出する。

国務長官 コンドリーザ・ライス


序文

 2002年9月17日にブッシュ大統領は、政治的・経済的自由と人間の尊厳の尊重を促進することは、より安全かつより良い世界の構築につながる、という原則を基盤とする、新たな米国国家安全保障戦略を発表した。テロとの戦いから発生した国家的な活動を導き、その焦点を明確化するために、同戦略は一連の基礎的な作業を概説し、そのひとつとして、米国政府が人権への強い願望を支持し、民主主義を確立することを要求した。2005年1月20日、ブッシュ大統領は2期目の就任演説で、この原則についてさらに詳しく、次のように述べた。「この国の自由の存続は、他の諸国における自由の成功にかかっている。この国の平和にとって最大の希望をもたらすのは、全世界に自由が拡大されることである」

 米国とその提携各国は、2004年に多くの諸国と協力して、自由を拡大するために、そうした国の国民の政治的権利の保護、およびその社会における法の支配の推進を援助した。国民が自らの政府を選ぶという権利が主な関心事となったいくつかの例においては、劇的な展開によって、彼らの奮闘と画期的な成果が世界の注目を集めた。

 タリバン政権の打倒以来、過去3年間に、アフガニスタン国民は、テロを減少させ安全を高め、従来の民族・宗教・部族に基づく分裂を解消し、国民の価値観と生活様式に沿った新憲法を起草、女性や少数民族への基本的権利を拡張、そして前例のない政治的競争および表現の自由への社会の開放を目指して努力を続けてきた。国際社会はこれに応じ、地理的に拡散した、識字率の極めて低いアフガニスタン国民の選挙登録を支援し、アフガニスタン人の選挙スタッフや政治家に選挙および選挙運動における適切な行動を教え、アフガニスタンの軍隊と協力して、選挙までの準備期間および投票が行われている間の警備を提供した。10月に行われた大統領選挙では、18人の候補が、選挙登録をした1000万人のアフガニスタン国民(うち40%以上が女性)の票を争った。投票前に脅迫や襲撃事件が発生し、技術的にも深刻な問題があったにもかかわらず、800万人を超えるアフガニスタン国民(うち320万人以上が女性)が、初めて真に民主的な選挙で指導者を選ぶために投票をし、ハミド・カルザイ氏が過半数票を得て大統領に当選した。

 ウクライナでは、大統領選挙運動中に政府が対立候補に圧力をかけたほか、投票の際には広範な選挙違反や不正選挙行為が発生して、汚点を残した。10月31日および11月21日に行われた第1回および第2回の大統領選挙では、クチマ政権による不正行為や選挙操作があった。政府は、報道機関やジャーナリストを検閲することによってニュース報道を操作しようとし、これに対して、政府命令に従うことを拒否した記者らが「ジャーナリストの反乱」と言われているものを起こした。最終的には、11月21日の不正な選挙結果に対する国民のデモが徐々に拡大し、「オレンジ革命」となった。オレンジは、選挙に勝利したと広く信じられていた野党党首ビクトル・ユシチェンコ氏のキャンペーン・カラーである。

 12月3日、ウクライナ最高裁判所は、この決選投票に不正があったとして選挙結果を無効とした。これにより、選挙手続きに関する多数の違反、野党候補に対する嫌がらせ、政府にコントロールされたメディアによる極めて偏向した報道、そして広範な投票・集計における不正に関する、国内外の多くの選挙監視要員の意見が立証され、ウクライナにおける人権尊重の状況は明らかに好転した。裁判所の指示によって12月26日に行われた再選挙で、ウクライナの国民は新大統領を選出した。国際監視団は、ユシチェンコ氏が勝利を収めたこの再選挙では、メディアによる報道内容の改善、投票プロセスの透明性の向上、特定候補の支持を求める政府の圧力の減少、そして投票所での混乱の減少が見られたことを指摘した。ユシチェンコ新大統領は、民主主義、法の支配、および人権の順守に対する強力な確約を表明した。

 イラクでは、国民が自ら指導者を選ぶ準備を進める過程で、数々の困難な課題に直面しており、危険度の高いテロ攻撃が各地で多発していることが、その困難の規模をさらに拡大した。まず、イラク統治評議会が、イラク当局への主権の返還の枠組みについて合意に達した。これは、法の支配の下で、またイラクの市民が自ら統治者を選び憲法秩序を構築することのできる明確に定義された手続きの下で、行われるものである。3月には、イラク基本法(暫定憲法)の承認によって、これらの目標が達成され、第2段階、すなわち6月28日の連合軍暫定当局からイラク暫定政権への主権移譲への道が開かれた。

 イラク暫定政権は、国連をはじめとする国際顧問機関の援助の下で、独立した選挙当局であるイラク独立選挙管理委員会を設置した。同委員会は、イラク国民およびその他14カ国に居住するイラク人の選挙登録および投票の手続きを設定した。8月15日から18日にかけてイラク国民会議が開催され、100人から成る暫定国家評議会が選出された。イラクの立法当局であり、イラク暫定政府形成への第1歩となる暫定国民会議の選挙が2005年1月30日に行われることになった。イラク基本法に従って、暫定政府が恒久憲法を起草し、この憲法は2005年8月に批准される予定である。また同憲法の下で、2005年12月までに恒久政府の選挙が行われる予定である。

 われわれは、これらの選挙のような出来事は、平和の可能性を拡大し、こうした諸国の自治のための確固たる基盤を築き、それに参加するすべての人々にとって人権慣行の改善への機運を高めるものである、と信じている。しかしながら、本書の196の詳細な報告によって十分に示されているように、この道を前進することは、少なくとも当初は容易ではなく、時間もかかる。この報告書からは、国際的に認められた選挙が成功裏に完了したにもかかわらず、人権慣行がむしろ後退したと思われるケースも多数あることがわかる。例えば、昨年ベネズエラで行われた選挙の後に、司法およびメディアの分野で、そうした後退がある程度見られた。

 人権促進の作業の複雑さと難しさが認識されたことがひとつの要因となって、1977年に連邦議会が、年次国別人権報告書の作成を国務省に制度化することになった。われわれは、この世界的な人権状況に関する証言の大要を提供することによって、この進行中の作業の記録が、将来の作業および世界人権宣言の大志を前進させるための協調拡大の可能性を明らかにする一助となることを願っている。

1年を振り返る−民主主義、人権、労働

 以下に、196の国別報告の詳細を記載するが、その中でも一部の諸国における展開と体験は、人権問題の深刻度だけでなく、2004年のその被害者および政府への米国の関与という点からも、際立っている。

 スーダン政府の人権慣行は、引き続き極めて劣悪であった。同政府は、言論、報道、集会、結社、信教、および移動の自由に対する制限を継続し、こうした権利を行使する者を逮捕し、嫌がらせをした。

 年末時点で、スーダンのダルフール地域の国内避難民(IDP)は150万人を超え、さらに20万人がチャドへ避難していた。チャドでは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、大規模な難民救済活動を調整した。暴力と強制移住によっておよそ7万人が死亡したと報告されている。

 スーダン政府が、ダルフールにおける暴力を停止すると繰り返し確約したにもかかわらず、残虐行為が続いた。政府軍および政府の支援するジンジャウイードという民兵組織が、日常的に村落を襲っている。ジンジャウイードは、正規の政府軍と協力して、軍による上空からの援護の下で襲撃を遂行することが多い。9月には、コリン・パウエル国務長官が、独立した専門家らが1100人を超える避難民の体験を詳細に調査した報告書を慎重に検討した結果、ダルフールの住民に対して集団虐殺が行われた、との結論に達した。長官は、「ダルフールで集団虐殺が行われた。その責任はスーダン政府およびジンジャウイードにある。そして集団虐殺がまだ起こっている可能性がある」と述べた。

 政府軍は、ダルフール地域における攻撃作戦で、日常的に市民を殺害し、傷つけ、強制退去させ、また診療所や住居を意図的に破壊した。また、政府の支援する民兵組織が意図的に市民を襲撃し、財産を略奪し、村を破壊したとの報告も確認されている。

 一方、南北対立に関する交渉における年末の展開は、スーダン国内の他地域における平和と人権慣行の改善に希望を持たせるものであった。スーダン政府とスーダン人民解放運動・軍との間では21年間にわたって軽いレベルの紛争が続いていたが、国務省の見るところでは、年末までにこの両者の予備協定に向けて重要な動きがあった。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国民を冷酷かつ抑圧的に扱い続けていることに対応して、米国連邦議会は2004年北朝鮮人権法を成立させた。同法は、北朝鮮における深刻な人権状況に対処すること、そして北朝鮮難民問題の恒久的解決策、人道援助提供の透明性、情報の自由な流れ、および朝鮮半島の平和的な再統一を促進することを目的としている。

 ベラルーシでは引き続き、警察による囚人や拘留者に対する虐待、また時には拷問が行われた。治安部隊が、政治的な理由で市民を恣意的に逮捕・拘留した。また、政府高官に対する「名誉毀損」などの政治犯罪で個人が訴えられ、刑の判決を受けた。政策に対する批判もこうした政治犯罪と解釈されることが多い。ジャーナリストや著名な野党政治家が長期にわたり失跡していることに関する信頼のおける報告を、ベラルーシ政府は一貫して無視し、こうした事件の徹底的かつ透明な捜査を怠っている。それどころか政府は、欧州評議会が信頼できる証拠に基づいてこれらの失跡事件に関連があるとしているビクトル・シャイマンを、大統領府の長に任命し、公然と虐待の環境を継続させている。

 ビルマでは、暫定軍事政権が命令によって支配し、基本的権利を提供する憲法の規定に束縛されることはまったくなかった。治安部隊は、超法規的殺人を行っている。また、失跡事件が続き、囚人や拘留者は、治安部隊による強姦、拷問、殴打などの虐待を受けた。恣意的な逮捕や連絡不能の監禁も頻繁に見られた。また、治安部隊が日常的に市民のプライバシーを侵害し、人々を強制移住させ、少年兵を徴集した。

 2004年にイラン政府は無数の殺人に関与し、これには正当な法の手続きを踏まない裁判後の処刑も含まれていた。治安部隊による囚人や拘留者に対する拷問が多数報告されている。また、恣意的逮捕、長期にわたる連絡不能の監禁、劣悪な条件の過密な刑務所、弁護士へのアクセスの欠如、むち打ち刑による処罰、および個人のプライバシーの侵害も見られた。

 2004年の中国による人権に関する協力と前進は、期待を裏切るものであった。中国は、2002年の米中人権対話における確約の多くを実行しなかった。しかしながら、年末には、人権に関する実務レベルの協議が再開された。この協議は、米国が国連人権委員会(UNCHR)で中国の人権慣行に関する決議を支持して以来、停止されていたものである。2004年に中国政府は、活動家の逮捕と拘留を継続した。その対象となったのは、インターネットで自由な討論を行う者、反体制派や追放者を支援する弁護士、HIV・エイズ問題の活動家、SARS問題を報道するジャーナリスト、政治的見解を表明する知識人、ハウスチャーチ(家庭で礼拝を行う教会)の礼拝に出席する者、また権利を求めて抗議する労働者などである。中国の刑務所では虐待が続いた。中国政府は引き続き法輪功に対する取締まりを強化し、何万人もの実践者が、刑務所、超法規的な再教育のための強制労働収容所、および精神病施設に監禁されている。中国の全国人民代表大会は、憲法を修正して人権保護の条項を加えたが、中国政府がこの修正条項をどの程度実施しようとしているのかは不明である。

 サウジアラビアでは、女性の権利と義務に関する政府主催の会議、また同国で初めて許可された正式な人権組織など、いくつかの分野で好ましい展開が見られた。10月には、サウジアラビア政府が、一部の長期在住者に市民権の申請資格を与える行政令を発布した。また年末までには、2005年2月に予定されている地方議会選挙のための選挙人および候補者の登録が、対象は男性に限られるものの、大きく前進した。

 しかしながら、サウジアラビアでは依然として、人権に対する侵害および違反が、こうした前進をはるかに上回っている。治安部隊による囚人の拷問と虐待、恣意的逮捕、および外部との連絡不能の監禁が行われているという信頼できる報告があった。宗教警察は、市民および外国人に対する威嚇、虐待、拘留を続けた。裁判の大半は非公開裁判で、通常、被告は弁護士なしで出廷する。治安部隊は、改革派の人々を逮捕し拘留した。政府は、言論と報道、集会、結社、および移動の自由に対して制約し続けた。また政府が個人のプライバシーの権利を侵害したとの報告もあった。女性に対する暴力と差別、子どもに対する暴力、民族的・宗教的少数派に対する差別、そして労働者の権利に対する厳しい制約も継続した。

 多くの国で、政府の権限に対する市民による直接的管理が拡大したが、こうした展開とは対照的に、ロシアでは、議会選挙法の改正と、知事の選定方式が選挙から任命へと移行したことによって、行政府の権限がさらに強化された。メディアに対する制約の強化、迎合的なドゥーマ(国会・下院)、最近の国政選挙における欠陥、法執行機関の腐敗、および司法制度に対する政治的圧力も、政府の説明責任の衰退に関する懸念を生じさせた。法律で広く禁止されているにもかかわらず、人種に基づく暴力や差別が増大した。当局が少数民族に対する行為の捜査を怠る一方で、そうした人々に対して、書類点検を強化し、都心部からの追放の対象とし、許容範囲を超える過度な罰金を科したり、より頻繁に拘留したりする例が増えた。人権の保護を目的とする政府機関は比較的弱体であった。

 ジンバブエ政府は、暴力と抑圧と威嚇の組織的な活動を実行している。こうした活動の特徴は、人権、法の支配、およびジンバブエ国民の福利を無視していることである。政敵や人権擁護派の人々に対して、さまざまな手段による拷問が行われている。退役軍人、若者の部隊、そして警察官らが、政敵に対して残虐な行為を続けている。ムガベ政権は、司法、警察など、他の政府機関をも攻撃対象としている。判事が嫌がらせを受けて屈服し、あるいは辞職を余儀なくされて、代わりにムガベ派の判事が就任する例が見られた。報道機関は制約または抑圧を受け、これに反抗するジャーナリストは逮捕され殴打された。引き続き、土地の差し押さえが政治的・社会的抑圧の手段として使われ、こうした破壊的な政策に反対するものは、暴力的な報復の対象となっている。

 ベネズエラでは、8月にチャベス大統領の罷免を求める国民投票で政府が勝利を収めたにもかかわらず、2004年の人権尊重の状況は、引き続き思わしくなかった。反対派は、投票に不正があったと申し立てたが、米州機構(OAS)とカーターセンターの選挙監視団は、選挙の公式結果は「有権者の意志を反映したものである」と判断した。年間を通じて、ベネズエラ政府は、司法制度に対する統制と裁判への干渉を強化した。非政府機関(NGO)は、政府支持派による脅迫や威嚇の対象となった。12月には、メディアの自由と言論の自由を衰退させ、事実上、政府に対する批判を刑事犯罪とする法案が、議会で可決された。米国政府は、ベネズエラ政府の人身売買対策が引き続き不十分であるとの理由で、同国政府に対する制裁措置をとった。

 2004年には、フィデル・カストロが、独裁者として君臨する世界最長記録を再び更新した。キューバ政府は、あらゆる民主主義プロセスを拒否するという姿勢を維持し、民主主義を支持する活動家、反体制派、ジャーナリストその他の専門職者、および国家の統制を受けない経済活動を行おうとする労働者に対する嫌がらせと威嚇を継続した。2003年に長期の刑の判決を受けた反体制活動家75人の大半が、国際的な抗議にもかかわらず、引き続き監禁されている。また当局はさらに22人の人権活動家を逮捕し、「権威に対する侮辱」などの罪で有罪判決を下した。米国は、UNCHRのメンバー国として、引き続きキューバにおける人権侵害に対する取り組みを優先事項としている。

 UNCHRは、2004年の会期中に、米国が提起したキューバに関する決議を正式に採択した。また、トルクメニスタン、北朝鮮、およびベラルーシに関する決議も、前年に続いて2年連続で採択した。ビルマに関する決議は、全会一致で承認された。UNCHRのメンバー国の中には、ジンバブエ、キューバ、スーダン、中国など、自国の市民の人権保護を怠っている国もあり、UNCHRの2004年の会期は、期待外れに終わった面もいくつかあった。例えば、UNCHRは、中国、ジンバブエ、およびチェチェン共和国の人権状況に関する決議を採択することができなかった。米国は引き続き、UNCHRの機能向上の必要性を強調し、特に、好ましい人権実績を持つ諸国の加盟を増やすことを支持した。

 米国は、民主的に選出された政府の方が、市民の人権を尊重する可能性が高い、と信じている。このため米国は、世界各地で民主主義を促進し、強固にし、前進させるために協力する民主主義国家のネットワークである民主主義コミュニティー(CD)の他の加盟国と協働した。2004年に米国は、他のCD諸国と共に、民主主義幹部会議を結成した。これは、志を同じくする諸国が、UNCHRおよびその他の国連機関内で、民主主義の価値観に沿った目標に向けて、より緊密に協力するための組織である。UNCHRで米国は、ペルー、ルーマニア、および東チモールと共に、民主主義促進における国連の役割を強化する決議を提起し、採決させた。この決議の勧告のひとつとして、国連人権高等弁務官事務所内に「フォーカルポイント」というメカニズムを設置することが求められている。これは、新興民主主義国が、その支援に役立つ国連の資源にアクセスできるよう援助することを目的としている。

 国連民主主義幹部会議の設立の支持に加えて、CDは、民主主義諸国を連携させるプロジェクトを通じて民主主義の制度や価値観を発展させることを支援しようと努めた。チモールの公務員に最良の慣行を伝えるため、東チモールに、民主主義の実践者から成る多国籍の代表団を派遣した。また、イラクの選挙関係者の一団が、選挙プロセスの見学と学習のために、リトアニアを訪問した。基本的人権(すなわち世界人権宣言に成文化され、CDのワルシャワ宣言とソウル行動計画で再確認された権利)の侵害に反対する民主主義の声を団結させることが、自国の市民の権利を否定し侵害する政府に対して圧力をかけ続ける上で不可欠である。

制度的変化

 カタールでは、2003年に有権者が大差で承認した新憲法の草案を首長が承認し、憲法改正の過程が進行している。首長一族が世襲の統治を続けるが、2005年6月に制定が予定されている新憲法には、多くの人権条項が盛り込まれている。

 パキスタンでは、ムシャラフ大統領が、年末までに陸軍参謀長を辞任すると約束したにもかかわらず、兼務を続行している。

 アフリカでは、中央アフリカ共和国(CAR)が、新憲法を制定し、そのほかにも、2003年3月のクーデターで政権を握ったボジゼ大統領の下で、すでに公表されていた民主主義への移行を促進する多くの措置を実施した。ギニアビサウ共和国では、2003年9月の軍事クーデターの後、軍が文民政府を樹立した。この両国では、いずれもクーデター後の政情安定に伴って、人権侵害の報告件数が減少している。

 トルコ政府は、欧州連合加盟を目指してコペンハーゲン基準適合を達成しようとしており、そのために名誉殺人や拷問を防止し、信教・表現・結社の自由を拡大し、政府における軍の役割を縮小するための、以前より比較的リベラルな新刑法と一連の憲法修正条項を含む重要な包括的改正案を可決した。しかしながら、こうした改正の実施は遅れている。治安部隊による拷問、殴打、恣意的逮捕・拘留などの虐待が減少したとの報告があり、ヨーロッパ拷問防止委員会もトルコ当局が政府の拷問に対する「ゼロ・トレランス(非寛容)」政策を順守する努力をしていると報告しているが、治安部隊によるそうした多くの虐待が続いている。名誉殺人も引き続き発生した。トルコ政府は、クルド語その他の言語の使用に対する制約を一部緩和したが、言論と報道の自由に対する制約は続いた。

 2004年には、いくつかの国で、政府が腐敗防止の活動を強化した。コスタリカ共和国は、元政府高官に対する取調べの実行という点で最も野心的であり、元大統領3人に対して、それぞれ個別に資金不正使用、リベート、違法契約に関する調査を行った。アフリカでは、政府関係者による金銭上の問題と人権侵害が、腐敗防止活動の焦点となった。ガンビアのジャメ大統領は、国際的な信用を取り戻すために政府関係者による腐敗の抑止を公約の柱とし、調査委員会による調査の結果、多くの政府高官が解雇され、経済犯罪で訴追されたケースもあった。ケニア政府は、腐敗防止担当長官の職を設置し、違法処刑の疑いのある事件に対する多くの調査を開始した。ザンビアでは、2003年に警察の不正行為と闘うために設置された警察苦情局が、苦情に対する調査を続けている。

政治的権利

 残念なことに、ユーラシアでは、グルジアとウクライナを除いては、依然として政治的な展開が深刻な問題となっている。市民社会の発展が、前進の評価の主な基準となる状況が続いている。NGO、野党、そして市民が組織化し、政府の説明責任を要求する例が増えている。トルクメニスタン、ウズベキスタン両共和国では、野党は登録することができない。同時に、この地域の各国政府は、ウクライナとグルジアから間違った教訓を得て、民主主義NGOに対して官僚的障壁やもっともらしい法的手段を使った嫌がらせをすることによって、市民社会を抑圧しようとしている。

 グルジアでは、昨年1月の大統領選で、国際監視団が前進を報告したが、これを基盤として3月には「グルジア史上最も民主的な選挙」と言われた議会選挙が行われた。この地域の他の諸国では、政府が新たな選挙法の草案を作成して、選挙プロセスの改善における限られた前進を見せた。カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの各共和国で導入された新しい選挙法は、いくつかの面で改善されているが、この3カ国のいずれの場合も、新しい選挙法は依然として国際水準には達していない。同様に、2004年にカザフスタンおよびキルギスタンで行われた選挙も、以前に比べて限られた前進はあったものの、国内外の監視要員が、不正投票、野党候補者に対する虐待や嫌がらせ、あるいはメディアへの平等なアクセスの制限について疑問を提起した。

 ベラルーシ政府は引き続き、市民が民主的な政治プロセスを通じて政権を変える権利を否定した。深刻な欠陥があった10月17日の国民投票により、憲法による大統領の任期制限が廃止された。この国民投票と、同様に欠陥のある議会選挙が同時に行われたが、それに先立って政府は独立した新聞社の新聞発行を停止させ、多くの議員候補を不適格とした。政府は、不正選挙に平和的に抗議した政治指導者や、抗議活動を取材したジャーナリストに対して、過剰な力を行使し、時には殴打し、逮捕することもあった。また2004年に、ベラルーシ政府は、政治的権利を強調する登録された主要なNGOを多数閉鎖させ、閉鎖されなかったNGOに対する国家治安当局の嫌がらせが増えた。

 10月に、ボスニア・ヘルツェゴビナは、デイトン和平合意以来初の、自己管理による地方議会選挙を行った。これらの選挙は、国際的な民主主義の基準を満たしていると判断された。

 インドネシアでは、連続して行われた3回の選挙で投票率が非常に高く、現職の指導者が敗北し、野党指導者が選出されるという変化につながった。これはまた、議員に立候補した軍人や警察関係者の敗北でもあった。

 アフリカでも注目すべき選挙がいくつか行われた。ガーナ、モザンビーク両国では、現職の政党が再選を果たしたが、これらの選挙は概して自由で公正であると判断された。シエラレオネでは、地域によっては不正が見られたものの、過去32年間で初めての地方選挙が行われた。

 ブルンジでは、選挙実施の遅れと、同国の民主主義への移行が、懸念の焦点となった。暫定政府は、アルーシャ和平合意で要求されている地方選挙・全国選挙の実施を怠り、また年末時点で、憲法草案に関する国民投票も無期限延期した。ネパールでも、毛沢東主義者の反乱と、各政党間のこう着状態が、2004年に選挙の実施を妨げ、同国の政治危機をさらに深刻化させた。

 ルワンダでは政治的権利が大きく制限されていたが、主要な人権団体が閉鎖されたり事実上解散させられたりしたため、さらに権利が縮小された。政府の報告書は、こうした措置を、「分割主義」に対抗する運動の一部として正当化している。この報告書は、人権団体、ジャーナリスト、教師、および教会が「民族虐殺のイデオロギー」を推進していると非難している。

 イラン政府による市民の自由と政治参加の尊重の状況は、悪化し続けている。2月に行われた290議席の議会選挙は、概して自由でもなく公正でもなかったと見なされている。聖職者が支配する保守的な護憲評議会は、現職の議員85人を含む改革派の候補者を、事実上すべて排除した。その理由としては、現行の政治制度に対する「服従の証明」がないことなどが挙げられた。この極めて大きな欠陥のある選挙の結果、改革派は議会のごく少数派となった。一方、改革の動きや改革派に対する保守派の反動は続いている。

内紛その他の紛争

 シエラレオネの「真実と和解委員会」が行った公聴会では、約1万人の市民が、内戦の犠牲者としての苦情を述べたり、内戦での行動を告白したりした。同委員会は、政府の法的、政治的、行政的な改革を提案した。また政府は、少年兵として戦った大勢の子どもたちを解放した。年末までには、国連シエラレオネ・ミッション(UNAMSIL)が、全国的に責任をシエラレオネ軍およびシエラレオネ警察に移譲した。UNAMSILは、安全保障理事会の指令に従って、2005年6月までに撤退する準備を始めている。

 グアテマラのオスカル・ベルシェ大統領は、2003年末の決選投票で当選した後、国家アジェンダとして1996年の和平合意を「再発足」させ、国家を代表して国民に対して、長期に及んだ内戦の際の人権侵害について、象徴的に謝罪した。またグアテマラ政府は、軍隊の規模を縮小し、主な司令部や部隊の一部を廃止し、軍事予算を削減した。8月には、軍隊が、人権の保護の重要性に関する規定を含む新たな政策を公表した。

 年間を通じた交渉の結果、コロンビア政府は、11月および12月に、準軍組織であるコロンビア自警軍連合(AUC)の戦闘員約3000人を復員させた。また、政府が国内のすべての都心部に永久的な警察署を設置したため、何百人もの地方自治体関係者が地元に戻った。その結果として、殺人、誘拐、およびその他の暴力犯罪の発生率が低下した。

 ハイチでは、年間を通じて国内紛争が続いた。アリスティード派と反アリスティード派の対立が政治的にこう着状態にあり、両者間の暴力が増加していたが、最終的には2月29日にアリスティード大統領が辞任し、国を去った。国連平和維持軍の存在があるにもかかわらず、憲法に基づいて設置された暫定政権は弱体である。9月には、ポルトープランスのアリスティード派の同志が、「オペレーション・バグダッド」と称する騒乱と暴力の作戦を開始した。この作戦によって、誘拐、斬首、警察官や市民の焼殺、無差別銃撃、そして公共および私有の建物の破壊・焼却などが行われた。こうした暴力行為のため、ポルトープランスでは数週間にわたって、学校、公共の市場、港湾、および司法制度の正常な機能が妨げられた。

 南アジアは、引き続き一連の内紛に悩まされた。インドのジャム・カシミールおよび北東部諸州では暴力行為が続き、治安部隊が公然と虐待を行って、武装戦闘員だけでなく市民をも殺害した。スリランカでは、政府と、テロ組織「タミール・イーラム解放の虎」の両方が、停戦協定に違反した。ネパールでは、拘留者の失跡が極めて深刻な問題となっている。また、政府の治安部隊が引き続き、毛沢東主義の反乱分子のシンパと疑われる個人を逮捕し留置する広範な権限を有している。治安部隊はまた、致死的な力を恣意的かつ不法に行使した。毛沢東主義者の反乱の継続に伴い、反政府の闘士が市民を拷問にかけ、一方、政府側は子どもを強制的に徴兵し、爆撃を行って一般市民を殺害した。

 中央アフリカの大湖地域(コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダを含む)は、10年以上にわたって、各国間を移動する武力集団や民兵組織の存在により、内乱、大規模な民族間の暴力行為、およびそれらに伴う多大な人権侵害に悩まされている。こうした武装集団は、戦略および天然資源をめぐって相互に争い、流動的な同盟関係を結んでいる。コンゴ東部で最も懸念される存在は、1994年のルワンダ大量虐殺の後に逃げ込んできた集団である。この集団は、引き続きルワンダ政府に反対し、国境を越えた作戦を実行するとともに、コンゴの市民を襲撃し、その他にも多くの虐待行為を行っている。また、この地域には、ウガンダおよびブルンジの政府および和平プロセスに反対する武装集団もいる。

 大湖地域における和平には希望が持てるが、この地域では人権侵害がほぼ日常的に行われている。主に犠牲となっているのは子どもたちであり、彼らは強制的に徴集され、拉致され、兵士として戦わされている。ただし、一部の諸国では、政府が少年兵の解放に前進を見せている。主として少年兵だけから成る民兵組織もある。戦争の武器として強姦が行われる例が増えているため、女性や少女たちは特に犠牲になりやすい。この地域には、世界中の国内避難民2500万人のうちおよそ500万人がおり、そのほかにも多くの難民を受け入れている。米国は、コンゴ、ウガンダ、およびルワンダの各国間の交渉を積極的に追求している。われわれは、武装集団による脅威に重点をおいて、この地域の各国における状況の監視を続けている。

 コートジボワールでは、政府と反政府軍との間に不安定な停戦状態が18カ月間続いたが、11月のフランス平和維持軍に対する空爆、および反政府派に対する攻撃によって、停戦状態は崩れた。禁輸と制裁措置の可能性があったにもかかわらず、政府は紛争の軍事的解決を遂行しようとした。コートジボワールはかつてアフリカ成長機会法(AGOA)によって、この地域で有数の米国の貿易相手国であったが、この年は、安全状況およびに関する、また全般的な法の支配の衰退により外資投資に対して敵対的な環境となるなどの懸念のため、AGOAに不適格である、とブッシュ大統領は判断した。

 ロシアでは、9月に北オセチア共和国のベスランで発生した学校襲撃事件、および治安部隊に拘留されている市民の失跡が続いていることが、北コーカサスの拡大する紛争の当事者らがいずれも、いかに基本的人権を無視しているかということを端的に表している。政府側とチェチェンの反政府独立派の両方が、政治的動機による失跡や非合法的な殺人など、深刻な人権侵害を犯しているとの信頼できる報告があった。こうした人権侵害の説明責任を追及していた個人も攻撃対象となった。また、チェチェン反政府派は、モスクワの地下鉄爆破事件など、ロシアの市民に対する攻撃を続けた。

個人の誠実性

 長年にわたる論争の末、チリ最高裁判所は、アウグスト・ピノチェト元大統領の免責特権を剥奪するという控訴裁判所の判決を支持した。12月13日、検察官がピノチェトを1970年代の「コンドル作戦」で犯した罪で訴追した。

 中央アフリカ共和国では、民政移管の継続に伴い、政府は治安調査部門を解散させた。同部門は軍の情報部で、2003年に、拷問、強姦、恐喝など多数の人権侵害を犯したとされている。2003年12月にボジゼ大統領は、それまで8年間停止されていた常設の軍事法廷を再開した。この法廷で、違法処刑、強姦、武装強盗など各種の人権侵害事件が審理された。

 北朝鮮は現在も、世界で最も抑圧的かつ残忍な政権のひとつである。推定15万〜20万人が政治犯としてへき地の強制収容所に監禁されているとみられており、亡命者の報告によると、囚人の多くが拷問、飢餓、病気、凍死あるいは複合的な理由で死亡しているという。また北朝鮮政権は、市民の生活のさまざまな側面を厳しく統制している。

 エジプトでは、1981年の非常事態法が、2003年2月、さらに3年間延長され、多くの基本的権利が制限された。治安部隊が引き続き囚人に対する虐待や拷問を行い、その結果、1年間に警察署または刑務所における拘留者の死亡が少なくとも10件報告された。恣意的な逮捕および拘留や、長期に及ぶ公判前の拘留が、引き続き深刻な問題となっている。刑務所の劣悪な環境も継続している。

 シリアでは、政府による拷問が広く行われたため、1年間で少なくとも8人が死亡した。恣意的な逮捕および拘留、長期に及ぶ裁判をしない拘留、基本的に不公正な治安裁判所における公判、および刑務所の環境の悪化が続いた。年間を通じて、治安部隊が、ハッサケ州、アレッポ、ダマスカス、およびその他の地域で、クルド人を集団逮捕している。3月12日には、ハッサケ州北東部のカミシュリで、サッカーの試合後にアラブ人とクルド人のファンが衝突し、治安部隊が群集に向かって発砲した。その後何日間も暴動が続き、何十人もの死者が出たほか、2000人ものクルド人が拘留され、年末時点で300人近いクルド人が拘留されたまま、国家治安裁判所および軍事裁判所での公判を待っていた。またシリア政府は、何年間も隔離拘禁されている人々の状況と居場所に関する情報を、いまだに公表していない。

 ウズベキスタンでは、刑務所、公判前の収容施設、および各地の警察や治安部隊の分署で、拷問が日常的に行われ、記録されている虐待に関与している治安部隊の隊員が罰せられることはほとんどなかった。しかしながら、政府が、拷問の問題に対処し、警察の説明責任を確立するために、いくつかの注目すべき措置をとった。政府は、内務省のいくつかの部門で、人権を侵害した隊員の取り調べと懲罰を行うための予備手続きを確立し、またNGOが刑務所を訪問し、看守に人権慣行について訓練を施すことを許可した。このほかにもウズベキスタン政府は、国際的な法医学の専門家と協力し、拷問の疑いのある拘留者の死亡の調査を行った。

報道の自由

 イランでは、民主主義の要求に対する保守派の反動が、政治的権利という明確な問題を超えて多くの分野に拡大した。例えば、2003年にイランの刑務所内で傷害を受けた後に脳出血を起こしたカナダ系イラン人写真家の死亡事件の調査が、2004年には停滞した。またイラン政府は、独立系の国内メディア各社を徐々に抑圧し、各社のジャーナリストを逮捕あるいは脅して沈黙させた。2004年には、自由な討論の最後の場として残っていたウェブログにも圧力がかかり始め、政府はウェブログの作成者を逮捕し、虚偽の供述書に署名をさせた。

 ロシアでは、メディアに対する政府の圧力と統制が強まり、表現の自由とメディアの独立性の弱体化が続いた。一方、ユーラシア諸国でも、特にベラルーシおよび中央アジアの一部諸国で、報道機関に対する統制と嫌がらせが強まる傾向が見られた。ロシア政府の主なアプローチは、放送メディアに対する支配所有権を利用し、チェチェン問題など微妙な問題に関する情報へのアクセスを制限する、というものである。また、政府の圧力の結果、ジャーナリストによる自己検閲も増えた。

 トーゴでは、政府が欧州連合と正式な政治的協議を行った後、新たな報道法を採用したが、その成果は一定していない。新法では、報道に関する違反のほとんどについて自由刑が排除されているが、民族的憎悪や法律違反などの行為の扇動、および偽名を使った出版に対しては、自由刑が適用される。また、この法律は、ジャーナリストの職業基準を設定し、独立系新聞に対しては、その職員の少なくとも3分の1が政府の基準を満たすようにすることを義務付けている。

2004年にアルジェリアは、初めて民主的な競争選挙を体験し、ブーテフリカ大統領が再選されたが、アルジェリア政府はメディアに対する制約を強化した。名誉毀損法の適用や報道機関に対する政府の嫌がらせが大きく増加し、ジャーナリスト数名が2〜24カ月の刑を科され、新聞社2社が閉鎖または発行停止を命じられ、報道機関による自己検閲がさらに増えた。

 ベネズエラでは、国際機関と国内のジャーナリストが、同国政府はメディアに対する敵対的環境を促進している、と訴えた。行政措置と、12月に可決された新たな法律によって、独立系メディアへの敵対的環境が生まれ、訴追の脅威が増した。

信教の自由

 この問題については、2004年9月に発表された「国際的な信教の自由に関する年次報告書」に詳しく論じられている。この国別人権報告書では、特にその後の重要な展開を取り上げる。

 国際信教の自由法により、信教の自由に対してとりわけ深刻な侵害を犯す国は、「特に憂慮すべき国家(CPC)」に指定されることが定められている。2004年9月に、国務長官は、ビルマ、中国、イラン、北朝鮮、およびスーダンの各国をCPCに再指定し、エリトリア、サウジアラビア、およびベトナムの各国を初めてCPCに指定した。

 イラクではサダム・フセイン政権下の政府支援による信教の自由侵害が停止されたため、2004年6月に国務長官はイラクのCPC指定を解除した。連合軍によるイラク解放以降、政府による信教の自由の妨害はなく、また暫定行政法により「思想、良心、および宗教の信仰と実践の自由」が規定されている。

 信教の自由の分野におけるサウジアラビア政府の措置は期待を裏切るものであった。2004年を通じて、米国政府高官は、サウジ当局と、宗教の実践をめぐる激しい討論を続け、9月に国務長官がサウジアラビアを、国際信教の自由法の下で、信教の自由に対するとりわけ深刻な侵害を犯しているとして「特に憂慮すべき国家」のひとつに指定した。サウジ政府は、宗教的服従を厳格に義務付けている。ワッハーブ派以外のスンニ派イスラム教徒、およびシーア派やスーフィ派のイスラム教徒が差別を受け、時には信仰の実践を厳しく制限されている。こうした宗派の指導者の多くが逮捕され監禁されている。サウジ政府は、イスラム教以外の宗教の公的な活動を禁止している。非イスラム教徒は、宗教活動を政府に知られれば、逮捕、監禁、拷問、あるいは国外追放される危険性がある。政府から給与を支給されるモスクの説教師が、説教の中で、非スンニ派イスラム教徒やその他の宗教に対して、暴力的な発言をする例が頻繁に見られた。

 ベトナムは引き続き信教の自由を制限し、宗教組織の活動は国家の承認するもの以外は制約した。ベトナム政府は、信仰の放棄の強制を禁止する全国的な法令を発布することをせず、宗教信者に対する身体的虐待を停止せず、相当数の宗教犯の監禁を続け、また2001年に中央高原地帯で閉鎖された教会の一部の再開を許可したものの、その他何百もの教会の再開と登録を許可することを拒否した。しかしながら、CPCの指定を受けてからは、信教の自由における多少の改善が見られた。政府が11月に発表した宗教条例について、宗教界の一部の指導者は慎重な楽観論を表明している。また12月には、ベトナム北部福音協会(ECVN)が、20年ぶりに全国会議を開催し、新たな独立した理事会を任命した。

 国別年次報告書で報告されている信教の自由の前進の例としては、アルメニアでエホバの証人が、登録申請を何度も拒否された後、10月に登録に成功した。ボスニア・ヘルツェゴビナでは、信教の自由に関する国家レベルの新たな法律が、議会の両院で可決された。この法律は、宗教団体に総合的な権利を供与し、かつてはなかった法的地位を与えるものである。またグルジアでは、この年、少数派宗教団体に対する暴力行為の報告件数が減少した。

少数民族、女性、子どもに対する扱い

 12月30日に国務省は、「世界の反ユダヤ主義に関する報告書(2003年7月1日〜2004年12月15日)」を完成した。これは、主として各地の大使館やNGOからの資料や、この国別人権報告書のために提出された各種の報告に基づいて、人権報告書とは別途に、また別途の法律に基づいて作成された大要である。

 チェコ共和国およびスロバキア共和国では、それぞれの政府が、法的規範を改正したり、ロマ人を警察と地域社会の連絡役として、あるいは医療助手として雇ったりするなどの手段を通じて、状況を改善する努力をしたにもかかわらず、ロマ人に対する差別が継続した。

 クロアチア共和国では、主としてセルビア人から成る難民の財産返還が大きく前進したが、各地で少数民族の帰還に対する妨害の問題が続いた。コソボでは、3月の2日間にわたる一連の暴動で、少数民族であるコソボ・セルビア人および非セルビア人少数民族に対する暴力行為が発生し、少数民族の権利が引き続き脆弱(ぜいじゃく)であることを示した。

 タイでは、同国南部で治安部隊がイスラム教徒の反体制派を虐待したことが、タイ政府の人権実績を損なった。4月28日に、警察および軍の部隊が、ヤラ、パッタニー、およびナラティワートの各県でイスラム分離主義者による攻撃を撃退する際に、100人以上を殺害した。10月25日には、軍隊の駐留地へ護送途中のイスラム教徒の拘留者78人が、警察および軍の部隊によって、過密なトラックの荷台に積み込まれ、窒息死した。

 アフガニスタンおよびイラクでは、女性が投票し、公職に就き、選挙に立候補することによって、政治的権利の行使において、かつてない大きな前進を果たした。また、教育その他の分野でも、女性は基本的権利の達成において大きく前進した。パキスタンでは、拘留中の女性に対する虐待に関する苦情を受けて、職員全員が女性の、女性専用特別警察署が設置された。また、パキスタンでは、名誉殺人が続いている一方、新たな立法によって名誉殺人に対する刑罰が強化され、虐待を減らすために、冒とく法およびフドゥード法の刑事手続きが改正された。

 多くの国においては、女性や子どもに対する虐待に関連する最大の問題のひとつは、女性や子どもの人身売買を発生させる状況に対して、国家が精力的に戦おうとしないことである。

 ビルマでは、各地の村の女性や少女たちが人身売買され、トラックステーション、漁村、国境の町、鉱山の宿舎、軍の駐留地などで売春婦として働かされている。ビルマ人の男女および子どもたちが、外国へ売られる例もある。政府の経済政策の失敗と強制労働政策が、事態をさらに悪化させている。

 アラブ首長国連邦(UAE)では、女性や少女が売春婦および家庭内奴隷として使われ、少年はラクダの騎手として搾取されている。ラクダの騎手を取り上げた最近のドキュメンタリーによると、虐待は子どもたちが非常に幼いときから始まることが多く、過酷な状況が重い負傷または死亡につながることもあり、栄養失調、そして雇用者による身体的・性的虐待の例も見られる。政府は、こうした慣行に対していくつかの措置をとることを誓約し、実行しているが、その効果は限られている。

 キューバでは、国家による観光推進策が、略奪的な性的関心をあおり、セックスツアーや未成年売春婦に対する性的搾取を推進している。

 赤道ギニア共和国は、石油産業のブームによって、売春婦としての女性の人身売買の中継地点および最終目的地となっている。

 強制労働および売春のために売買されるインド人は何百万人にも及ぶと推定されている。このほかに、何千人ものネパール人およびバングラデシュ人が、性的奴隷としてインドに売られている。インドにおける人身売買は重大な問題であり、政府関係者の一部が、この慣行に関与し、またこれを促進している。インドでは引き続き、人身売買問題への国家の法執行機関による対応が欠如しているが、個々の州で、ある程度の前進が見られ、また最近では中央政府が国家の人身売買防止政策を確立することを確約した。

 タンザニアでは、弱者に対する暴力と差別の問題が続いた。8月には、準自治区であるザンジバル島が、同性愛を違法とし、同島の自治区内で厳しい刑罰を設定した。タンザニア本土では、女性および少女計400万人が、女性性器切除(FGM)を受けた。この慣行を部分的に禁止する法律が存在するにもかかわらず、警察がこの法律を執行することはほとんどなく、また発見を防ぐために、この慣行の対象となる少女の平均年齢が下がっていると思われる。

労働者の権利

 イラクでは、主として暴力、失業、および労働組織の構造や法律の不適応が原因で、労働権の行使が引き続き制限されたが、国際社会の援助によって、年末時点で、ある程度の前進が見られた。ブリュッセルに本部を置く国際自由労働組合連盟(ICFTU)によると、労働者は、前政権の法律では禁止されていた、職場における労働組合を結成し、以前はバース党に支配されていた組合の構造を再活性化したことを報告している。年間を通じて国際労働機関(ILO)が、イラクの労働法を国際労働基準に沿ったものとし、労働・社会問題省の能力を再建し、緊急時の職業安定所を設置し、訓練・技能開発プログラムを実施するため、イラクに技術援助を提供した。

 4月には、ILO規約26条に基づいて任命された調査委員会がベラルーシを訪れ、同国政府が、結社の自由ならびに団結権および団体交渉権の保護に関するILO基本条約に基づく義務に組織的に違反している、との苦情の調査を行った(ベラルーシは、この条約をいずれも批准している)。10月に発表された委員会の報告書は、同国の労働組合運動は政府からかなりの干渉を受けている、と結論付けている。委員会は、政府が、独立した組合の登録に必要なすべての措置をとること、結社の自由を制限する法律および法令を修正すること、独立した労働組合員を反労組的な差別から保護すること、および委員会の結論と勧告を広く周知させることを勧告した。委員会は、これらの勧告の大半が遅くとも2005年6月までに実施されるべきであると述べた。

 ブッシュ大統領のリーダーシップの下、米国は民主主義同盟諸国と共に前進し、人権と民主主義へのコミットメントを再確認している。われわれは、万人にとって平和な世界の発展には、自由な人民の統治する国家が不可欠であるとの原則を基盤としている。われわれの民主主義的な義務の遂行は、それを促進する人々の決意と熱意にかかっている。以下の国別報告書が、これまでの前進を示すとともに、今後の課題の指針となることを願っている。