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スティーブン・J・ウェイン
米国大統領候補の指名制度は複雑で、混沌とさえしているように見えるが、実際その通りである。1970年代に民主・共和両党が大統領および副大統領候補の選出ルールの改革を始めて以来、指名制度は変化を続けている。そして、そのシステムの複雑さを理解し、システムの内外で巧みに行動できる候補が最も大きな成功を収めている。しかし、政治のゲームを学び、相手に勝つために懸命かつ巧みに戦うということが、結局のところ、創造的な政治家の仕事なのである。
政党と大統領候補指名の歴史
大統領選出のための選挙人制度とは異なり、大統領候補の指名手続きは合衆国憲法に定められていない。これは憲法の起草者が故意に省略したわけではない。党の候補指名手順が定められていないのは、憲法が起草・制定された1700年代後半には政党が存在しなかったためである。政党ができたのは、米国政府が機能しはじめた後のことであり、それは、ジョージ・ワシントン初代大統領政権下の政策に対応するためにつくられた。1796年から、当時の各政党所属の連邦議会議員らが、各党の正・副大統領候補を決定するための非公式な集会を開くようになった。このような「キング・コーカス」(国王を選ぶ党集会)と呼ばれる党候補指名方式は、30年近く続いた。この方式は1824年に消滅したが、それは米国の西部開拓に伴う各政党内での権力分散によるものであった。
キング・コーカスに代わり、大統領候補を指名する全国党大会が行われるようになった。1831年、反メイソン党という小政党が、党の大統領・副大統領候補を指名し、党の綱領(政党や候補者によって採択された原則や政策の宣言)を決定するためにメリーランド州ボルティモアの酒場で集会を開いた。翌年、民主党は候補を決めるため同じ酒場に集まった。以後、大政党、そしてほとんどの小政党が、各州の代議員を集めて指名全国党大会を開き、正副大統領候補を選出し、党の綱領に合意するようになった。
19世紀を通じて、また20世紀に入ってからも、各州の党指導者らが、党大会を支配し、代議員を選び、全国党大会における代議員の投票行動に影響を与えた。党指導者の影響力は政治的な問題となった。党の強力な幹部たちが大統領候補を自ら選ぶことを嫌った人びとは、一般選挙の前に行われる「予備」選挙の場で、各州の一般党員が党大会への代議員を選出できるような改革を支持した。1916年までには、半数以上の州が予備選挙を実施するようになっていた。
しかし、より多くの党員が党の大統領候補選出プロセスに参加することを促すような動きは、長くは続かなかった。第1次世界大戦後、党指導者らは、こうした予備選挙を彼らの影響力に対する脅威と見なし、州議会を説得して、これを廃止させた。その理由として彼らは、費用が多くかかること、予備選挙に参加する人が比較的少ないことなどをあげた。さらに、すでに州の党幹部の支持を取り付けていた有力候補者は、一般投票により支持を失う危険を避けるため、予備選挙への出馬を拒否することもあった。また、投票を参考程度にしかせず、他の方法により党大会の代議員を決める州もあった。予備選挙はしばしば党内の派閥主義を助長し、そのため党の組織構造が弱体化し、一般選挙での競争力が弱まった。1936年までには、引き続き予備選挙を実施している州はわずか12州あまりになっていた。
第2次大戦後、通信技術の発達に助けられ、民主化の圧力が再び盛り上がった。テレビという媒体の登場によって、国民が茶の間にいながらにして選挙戦を観ることができるようになった。テレビはまた候補者にとって、自らのカリスマ的人気や当選の可能性を示す場となった。ドワイト・アイゼンハワー、ジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソンは、それぞれ将軍、カトリック教徒、そして一度落選している大統領候補が一般選挙で勝てることを党に証明するために、複数の州の予備選挙にかなりの費用と労力をかけて出馬した。そして彼らは予備選挙を勝ち抜き、それぞれ党の指名を受けて大統領選挙に勝利した。 また1960年代半ばに始まり、70年代まで続いたベトナム戦争は民主党内に分裂を起こし、結果としてさらに改革をすべきだという圧力を生み出した。そのきっかけとなったのは、1968年の民主党の大統領指名プロセスと、それに伴う一連の出来事、すなわちロバート・ケネディ上院議員の選挙運動と暗殺、ユージーン・マッカーシー上院議員率いる党内の反戦運動、そのことによる民主党の分裂、民主党の党大会会場であるシカゴ市街での暴力的なデモ、そしてどの予備選挙にも出なかったため反戦抗議の標的となったヒューバート・ハンフリー副大統領の大統領候補指名である。
また1960年代半ばに始まり、70年代まで続いたベトナム戦争は民主党内に分裂を起こし、結果としてさらに改革をすべきだという圧力を生み出した。そのきっかけとなったのは、1968年の民主党の大統領指名プロセスと、それに伴う一連の出来事、すなわちロバート・ケネディ上院議員の選挙運動と暗殺、ユージーン・マッカーシー上院議員率いる党内の反戦運動、そのことによる民主党の分裂、民主党の党大会会場であるシカゴ市街での暴力的なデモ、そしてどの予備選挙にも出なかったため反戦抗議の標的となったヒューバート・ハンフリー副大統領の大統領候補指名である。
分裂した党内を大統領選挙戦に向けてまとめようとして、1968年民主党大会の代議員らは、ハンフリーの大統領候補指名後、党の大統領候補指名プロセスを見直す委員会を任命することで合意した。この委員会には、民主党大統領候補選出への党の参加拡大の促進と、党大会出席者がより公正に党の構成を反映するという2つの目標があった。こうして、2大政党の正副大統領候補の指名方法を改革するプロセスが始まった。
今日の予備選挙と党員集会の制度
民主党が行った大幅な改革が、自らの州民のための選挙法を制定する州のほとんどに、予備選挙の実施を促した。現行の定めによると、予備選挙とは、各党の支持者が、一般選挙に向けてその党の候補者を選ぶ選挙である。州の法律次第で、有権者が大統領候補に直接投票する場合と、特定の候補者を支持することを「誓約した」代議員に間接的に投票する場合がある。現行の制度でこのほかの唯一の方法として、州は複数の段階から成る党員集会・党大会プロセスを採用することもできる。これは比較的小さい選挙区に住む党員が集まって、特定候補の支持を誓約する代議員を選出する方式である。代議員はそれぞれの選挙区を代表して郡の党大会に出席し、そこで州の党大会に出る代議員が選出され、さらに州の党大会で全国党大会に出席する代議員が選出される。こうした党員集会・党大会のプロセスには数ヵ月を要するが、最初の党員集会の投票で支持候補が事実上決定する。
| アイオワ州党員集会の仕組み
党員集会の各段階
第1回の選挙区党員集会の手続き民主党正規登録民主党員で、当該選挙区に居住し、選挙権を持つ者だけが出席できる。出席者は、支持候補別のグループに属することを求められる。有効なグループとなるためには、メンバー数が出席者総数の15%以上でなければならない。有効とならなかったグループは解散し、そのメンバーは有効なグループに入ることができる。この段階で活発なロビー活動が行われる。各グループの人数が党員集会全体に占める割合に従って、各候補に割り当てられる代議員の数が決められる。
共和党 |
合衆国憲法の下、連邦議会が決めた規則や制限に沿って各州が独自に選挙法を制定する権限が認められている。各州は独自に予備選挙や党員集会の実施日を定めることができるが、連邦最高裁判所が、政党には全国党大会出席者に関する規則を制定し実施する権利があるとの判決を下したため、各州は党則に従って予備選挙や党員集会を実施することが促される。従って、党則に従わない方法で代議員を選出した州は、規則違反を理由に党から全国党大会で代議員に異義を申し立てられたり、代議員数を減らされたりする可能性がある。
現在、各党の全国党大会に出席する代議員の8割以上が、予備選挙で選出されている。予備選挙には、共和党か民主党の登録党員あるいは自身を党員とみなす者すべてが参加できる。
民主党は各州のすべての党組織に対して一連の全国的な規則を定めているが、共和党にはそうした全国的な規則はない。民主党の規則によると、各州は大統領選挙の行われる年の2月の第1火曜日から6月の第2火曜日までの間に、指名のための代議員選出を行わなければならない。小さな州であるアイオワ州とニューハンプシャー州は、それぞれ他に先駆けて最初の党員集会と最初の予備選挙を行うという伝統があるため、この規則の適用を正式に免除され、上記期間以前に投票することを許可されている。また民主党の規則では、各州の代議員の75%が下院選挙区より大きくない広さの選挙区から選出されなければならない。これは州内の特定地域に集中している可能性のあるマイノリティーをより多く代表させるためである。
さらに、特定候補の支持を誓約する代議員の数は、代議員またはその支持候補が集めた票数に比例して決められる。民主党には、その他に党の指導者、選出された現職の公職者といった代議員もいる。これらの代議員は、特定の候補者を(たとえその候補者たちが彼らの州の予備選挙で勝っていたとしても)支持する義務はない。最後に、民主党の規則では、州の代議員団の男女の比率を等しく半数ずつと定めている。共和党は、各州の党組織に対して全国的な規則を定めていない。共和党の党員集会あるいは予備選挙はいつ行われてもよく、選挙の前の年でもよい。州の共和党予備選挙は、勝者独占方式にすることもできる。共和党の候補には、誓約代議員を得るために必要な最低得票率が定められていない。また共和党の各州の代議員団の男女の比率は、半数ずつである必要はない。ただし、各州は男女が平等に代表されていること、そして一般党員ができる限り広く参加することを目指すよう促されている。
共和党は州組織により異なり、民主党は一連の全国的な規則があるという違いがあるにもかかわらず、両党に共通する2つの際立った傾向が見られる。
- 予備選挙や党員集会を選挙戦の初期に行う州が増えている。これは、指名候補の選出に対する州の影響力を強くし、候補者が州のニーズや利益に取り組むことを促し、候補者に選挙資金をその州内で費やさせるためである。この傾向を「前倒し」という。
- 「地域化」と呼ばれる傾向では、各州がその地域の他州と協力して予備選挙や党員集会を同じ日に実施し、その地域の影響力を最大にしようとする。
大統領候補指名のプロセスにおける前倒しと地域化のために、資金、メディア、そして組織的な支持へのアクセスを持つ現職大統領、主要な州の知事、連邦議会の上院議員や下院議員といった、全国的に知名度のある候補が有利になってきた。こうした有利な条件を持つ有力候補は、いくつかの州で同時に選挙運動を行うことができるのに対し、それほど知名度のない候補は、まず初期の小さい州での党員集会や予備選挙に資源と努力を集中的に注ぐことによって知名度を高め、有名なライバル候補と競争しようとする。
2004年の民主党の大統領候補指名に向けた準備の過程を見てみると、民主党の候補8人が、最初の党員集会または予備選挙が行われる10ヵ月以上前の2003年3月31日までに集めた資金は、合計約2500万ドル、費やした金額は700万ドルとなっている。このうち、現職の連邦議会議員である候補が、最も多額の資金を集め、最も知名度の高い政治コンサルタントを雇い、最も大規模な選挙運動組織を築いている。予備選挙の期間が短いことは、1976年のジミー・カーターや2000年のジョン・マケインのように、指名への足がかりとして予備選挙や党員集会を必要とする候補にとっては、不利な要因である。
指名プロセスが変化を続けることは、すべての候補に影響を及ぼす。現職大統領でさえも、再指名を当然のこととして期待はできない。1992年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、いくつかの予備選挙で、保守派のトークショー解説者兼コラムニストのパット・ブキャナンに、屈辱的な敗北を喫した。逆に、ビル・クリントン大統領は1996年に、自党内の政敵が立候補するのを思いとどまらせるため、早い時期に多くの資金を集めた。クリントンは、党員集会および予備選挙の初期から一般選挙まで、この資金を使ってマスコミを重視した選挙運動を展開する戦略を実行した。
党の候補者指名と民主主義
大統領候補指名プロセスの改革によって、一般市民参加の基盤が広がったことは明らかである。最近の改革が行われる前の1968年には、予備選挙で投票した有権者数はわずか1200万人で、有権者人口の約11%にすぎなかった。これに対して2000年には、有権者の約15%に相当する約3500万人が投票した。2000年の大統領選の選挙運動期間中、ジョージ・W・ブッシュと共和党の対立候補らとの指名争いにおける投票者数は2000万人を超え、民主党のアル・ゴア副大統領と主要対立候補のビル・ブラッドリー元上院議員との対決では約1500万人が投票した。近代的な指名プロセスにより、一般市民の参加が増えるとともに、各政党内の選挙における投票者の構成が多様化した。候補者指名党大会に出席する代議員の人種や性別といった人口統計上の構成は多様化したが、イデオロギーは多様化していない。それは、傾向として、一般の党支持者よりイデオロギー的な党活動家の方が、指名プロセスへの参加率が高いからである。従って、共和党大会に出席する代議員は一般の共和党有権者より保守的であり、民主党大会の代議員は一般の民主党有権者よりリベラルである傾向が見られる。
前述のように、こうした改革によって、州の党指導者の権限が弱まるとともに、指名を目指す候補者は広く一般にアピールせざるを得なくなった。その結果、候補者とその支持基盤とのつながりが強化され、当選した候補者は公約の実行を強く促されるようになった。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任1年目に、減税、教育改革、軍備の充実といった主な公約の実現にエネルギーを注いだ。これらは、ブッシュの政治的基盤である保守派に焦点を合わせた政策である。
指名プロセスの改革の多くがプロセスの民主化に貢献したが、まだ変則的な状況は残っている。予備選挙に参加する有権者は、共和党、民主党ともに、平均的な有権者に比べて、教育水準、収入、年齢がいずれも高い傾向が見られる。また、支持する候補者や運動に資金を寄付する人々は、社会経済的に上層に属する傾向がある。その結果、彼らは必然的に、選挙における影響力が大きくなる。
最後に、論議の的となりやすい公開の指名プロセスは、各政党内に派閥を生じさせる。指名獲得への競争が厳しければ厳しいほど、こうした分裂が発生しやすく、政党が指名候補の大統領選挙運動を滞りなく行うには、この問題を迅速に解決しなければならなくなる可能性が出てくる。
党大会の影響力
指名プロセスの変化によるもう1つの影響は、全国党大会の重要性の低下である。今日、指名プロセスの比較的早い段階で、党の大統領候補が有権者によって事実上決定される。そして、通常この候補が、党大会の前に副大統領候補を指名する。また、この候補は、政党の綱領の草案作成においても主導権を握る。こうした状況の中で、米国民がわざわざテレビの前に座って大統領候補指名大会を見る必要があるのだろうか。実際問題として、テレビで党大会を見る人はあまり多くはない。近年、党大会中継の視聴率は低下しており、大手ネットワークによるゴールデンアワーの党大会中継の放送時間も減少している。民主、共和両党が指名大会を開いた2000年夏に調査機関が実施した世論調査によると、テレビ視聴者の約半数が、どちらの大会にもチャンネルを合わせなかった。
視聴者は減っているものの、党大会は引き続きニュース番組や新聞で取り上げられている。前述の調査結果によると、2000年には、党大会の期間中およびその後に一般市民の認識度が高まるとともに、候補者やその政策に対する知識も向上した。従って、党大会は、有権者に情報を与え、指名候補に対する党員の支持と熱意を高め、国民の関心を一般選挙に向ける役割を果たしたことになる。
大統領候補指名プロセスは完璧なものではないが、この数十年間に、国民の参加を広げ、代議員の構成を多様化させ、平均的な党員と候補とのつながりを強化する効果を上げてきた。現行のプロセスでは、大統領予備選挙の早期において、より知名度が高く、より多くの資金を集める能力があり、最も効果的な選挙運動組織を持ち、最も有権者の熱意をかき立てることのできる候補者が有利、ということになる。
+党代表および現職の公職者も含む。
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スティーブン・J・ウェイン (Stephen J. Wayne) は、ワシントンDCのジョージタウン大学政治学教授。著書に、The Road to the White House 2004 (Thomson/Wadsworth, 2004) がある。
* 本稿はUnited States Elections 2004 に掲載の"Presidential Nominations and American Democracy" の仮訳です。


駐日米国大使