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*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

ジョン・マケイン

 ジョン・マケインはこれまでに素晴らしいリーダーシップを発揮し、さまざまな経験を積んできた。こうした目ざましい実績は、生涯を通じて揺らぐことのない、彼の奉仕の精神を体現するものである。1982年にアリゾナ州から連邦下院議員に選出されたマケインは、ワシントンの改革、無駄な政府支出の削減、米軍の増強を目指す戦いを主導してきた。

 連邦支出削減と減税という改革政策を掲げたマケインは、連邦下院議員を2期務めた直後、1986年に連邦上院議員に選出された。

 上院では、連邦議会が特別利益団体のための抜け道をなくすこと、そしてロビイストによる法案の起草や、連邦議員による税金の無駄遣いを許すことになりがちな、ワシントンの破たんしたシステムを正すことを要求し続けた。2004年11月には、77%近い得票率で圧倒的な勝利を収め、上院議員に再選された。

 父も祖父も著名な海軍大将であるジョン・マケインは、義務と名誉と国への奉仕を非常に大切にしている。米国海軍士官学校を卒業後、22年間に及ぶ海軍パイロットとしてのキャリアを歩み始めた。そして、ベトナム戦争への出征を志願し、父や祖父から伝えられた国家への奉仕というマケイン家の伝統を引き継いだ。

 ジョン・マケインはその生涯で何度も死にひんしているが、初めてそうした体験をしたのは、1967年7月29日、マケインが北ベトナム爆撃のため空母フォレスタルから飛び立とうとしていたときだった。近くにいた戦闘機から誤って発射されたミサイルがマケインの搭乗機の燃料タンクに命中し、艦上で大火災が発生した。マケインは間一髪で脱出したが、この火災事故で134人が死亡、さらに何百人もが負傷し、戦闘機20機が破壊された。

 フォレスタルでの大事故の後、マケインは帰国という選択肢を取らず、再び戦闘任務に志願した。この重大な決断が彼の人生の時計を止め、彼は5年半にわたって家族や祖国から引き離されることになった。

 1967年10月26日、マケインは23回目の爆撃任務中にミサイル攻撃を受け、戦闘機から脱出を余儀なくされた。その際に意識を失い、両腕と片脚を骨折したマケインは、捕虜となり、悪名高い「ハノイ・ヒルトン(ホアロー収容所)」に収容されて、必要な治療も受けられないまま、北ベトナム兵によって何度も殴打された。捕虜生活のほとんどを独房で過ごした彼を支えたのは、信仰と、捕虜仲間の友情だった。何年も後にようやく解放されて帰国したマケインは、海軍パイロットの資格を回復し、兵役を続けた。

 マケイン上院議員の海軍での最後の任務は、連邦議会上院との海軍連絡官であり、1981年に退役した。海軍から、銀星章、青銅星章、勲功章、名誉負傷勲章、および殊勲飛行十字章を授与されている。

 マケイン上院議員には7人の子どもと4人の孫がいる。妻シンディと共にアリゾナ州フェニックス市に住む。

 出典:www.johnmccain.com